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2018年10月09日20:50

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最近、思ったこと。part0037


 〔緊急連載〕ロシア東欧史概論対露アウトライン・ダイジェストその12{かっ飛びつまみ食い編その10}。さてと、急ごう。しかし、次から次へと「厄介事」が増えるね(-_-;)。ホタテ批判書いた時も「日中歴史共同研究」という「トンデモ問題」が出てきたが、書き始める前は予想もできないような「ネタ」が次から次へと沸いて出てきやがる<(T^T)>。はーーーー(ToT)、もうこりゃ「運命」だとでも思って諦めるしかないね(-_-;)。ファイトo(-_-)o。はっきり書く、


「ジャハーン・グシャー(世界征服者)原理」 は「実在」する。


今日はその辺を少し重点的に書いておきたい。ジンギス・カーンの「生霊」が21世紀の今現在も飛び回ってるなんて話、みんな半信半疑、いや「トンデモ議論」のちょーーー「陰謀論」だとおもうだろ(苦笑)。「「ムー」か「トワイライトゾーン」でやってください(-_-;)」がみんなの正直な「感想」ではないのか?さにあらず、これは「諸史(世界史)」を「真面目」に学べば必然的に出てくる


単純な「事実」の一つなの(-_-;)。


モンゴル帝国は「国家」としては「滅んだ」けど、「思想」としては「残った」のよ。古代ユダヤ王国が「国家」としては「滅んだ」けど、キリスト教思想に身を変えて「思想」としては「残った」のと同じようにね。現に「欧州」で「南北アメリカ」で「太平洋」で、古代「ユダヤ」王ダビデは「英雄」として讃えられているではないか?仏教徒の俺から言わせればダビデなんて、「特筆」すべきものは何も無い辺境小国のただの「酋長」の一人に過ぎない。客観的に見てもそうだろう。でも、全世界20億のクリスチャンにとっては


「永遠の勇者」であり「預言者」なのよ。


なぜならば、ユダヤ思想の「源泉」である「トゥーラー(モーセ5書)」が「旧約聖書」としてキリスト教の「聖典」の一部となったからだ。「コレ」が「思想継承」というものなの。「理神論」で頭がイカレタ「現代日本人」には判りずらい処だろうけどね(嘆息)。そうでないという人は「イタリア」の天才芸術家ミケランジェロが古代「ユダヤ」王ダビデの像をなぜアレほど精緻に熱心に彫り上げたのかその「理由」とやらを俺に教えてほしいもんだわさ(-_-;)。さて、話が少しズレ気味になってきたな、話を「ジャハーン・グシャー(世界征服者)原理」に戻す。俺がこの思想の「実在」を主張する「論拠」は以下の3つ


1、「後継者」を名乗る「歴史的人物」が続出した事

2、14世紀イランにおいて突如「集史」を始めとする「世界史」が編纂された事

3、後継思想と見られる「国民思想」に歴史学的な強い「類似性」が見とめられる事


だ。「後継者」はほんとーに「無数」に出た(怒)。ジンギス・カーンは「侵略の天才」だから、ある意味「模倣者」がでるのは致し方ない(-_-;)。人間社会、「善人」より「悪人」の方が多いのは必然だ(怒)。だが、これが「ちょーーーー長期間」にわたって「続いた」って事ことが問題なのよ(-_-#)。これは「思想継承」なくしては決してありえない事なの。代表者は前回書いた通り以下の3人


1、キャン・バルラス・テムル(チムール大帝)       1336年〜1405年

2、イヴァン・ヴァシリエヴィチ・リューリック(イワン雷帝)1530年〜1584年

3、アイシン・ギヨロ・ホンタイジ(愛新覚羅皇太極)    1592年〜1643年


この3人の「思想継承」の最終ランナーはアイシン・ギヨロ・プイ(愛新覚羅溥儀)で1945年に「廃位」されているから、1388年のクビライ王統の「王統廃絶」から最低「557年間」は続いているのよ「確実」に。


ね、「ちょーーーー長期間」でしょ。


しかも、これ「今現在」も続いてるんだよね「確実」に(黒笑)。その辺の経緯は「北西モンゴル史」の方で詳述する。少し蛇足的だがキャン・バルラス・テムル(チムール大帝)が「思想継承」したのは1360年にチャガタイ・ウルスのトゥグルク・ティムール・カンに臣従した時だろう。イヴァン・ヴァシリエヴィチ・リューリック(イワン雷帝)が「思想継承」したのは1576年にロシア正教に改宗したジョチ・ウルスの分封カシモフ・カン国の君主キャン・ボルジュギン・サイン・ブラト(ロシア名シメオン・ベクブラトヴィチ)から「譲位」を受けたとき、アイシン・ギヨロ・ホンタイジが「思想継承」したのはダヤン(大元)・ウルスの第37代皇帝エジェイ・カーンからダヤン(大元)・ウルスの「伝国璽」を受け取った1634年の事だった。


みんな「歴史」にハッキリと「明記」されている事


なのになぜに「理解」できないんだよ(-_-#)。ま、これものすごく「濃淡」のある話で、表面上多くの「国民思想」・「宗教思想」と「混交」を繰り返して見えずらいのは「事実」だけどね(-_-;)。繰り返すが上記、歴史は明白な「事実」。チムール大帝はモンゴル皇統に使えて右翼諸子王国を統合して「帝国」を再建しようとし、イワン雷帝はモンゴル皇統から「譲位」を受けその「後継者」であることを宣してシベリアへ兵を向け、愛新覚羅皇太極はモンゴル帝国最後の皇帝から直接「伝国璽」を受け取りモンゴル帝国の継承国家「大清帝国(ダイチン・グルン)」の「建国」を宣言した。どこが間違ってる?イラン史・インド史・トルキスタン史やるとほんとーーーに「無数」に出てくる話なんだってば。考えても見てくれ、大英帝国は「海のモンゴル帝国」とも言うべき「大征服」を「結果的」に成し遂げたが


我こそはビクトリア女王の「後継者」なり〜!なんて名乗り上げてる奴いるか(笑)?


英国本土に法的「王位継承者」はいるが、民族も宗教も伝統も違う国々からワサワサ・ワサワサ「後継者」を名乗る奴が続出するなんて想像もできないだろ(-_-;)。なぜなら、大英帝国には「ジャハーン・グシャー(世界征服者)原理」が存在しないからだ。「グローバル・シーレーン確保」と「世界通貨」を機軸とする大英帝国同様の「海洋路戦略」を取る国は当然「存在」するけどね。大英帝国ほどの「大征服」をしても、出てこない「後継者」がモンゴル帝国でのみで続出するって事は


「ジャハーン・グシャー(世界征服者)原理」

という

強烈な「政治的イデオロキー」思想が「実在する」よい「証拠」


なのさ。ちょっと、ヨーロッパにおける「ローマ帝国復興論」のしつこさに良く似てるよね(苦笑)。それでも信じられない人のためにもう一本「補助線」引いておこうか。それが次なる論点「集史」を始めとする「世界史」の編纂事業の突然の開始だ。一般に「集史」はイランにおけるモンゴル帝国の分封国「フレグ・ウルス(俗称・イル汗国)」の王位の「正当性」を訴えるために編纂されたことになってるけど


この「説明」途轍もなく「ヘンテコリン」だと思いません?


例えば、アニメ「銀魂」みたいに宇宙人が来襲して(笑)、俺たちは「宇宙史」を書いたから天皇陛下を押しのけて日本国王になっても「当然」だーーーと叫んだら、みんなそれに納得するか?いやいや、それと、これとは全然かんけーーねーーーだろ(怒)、


でてけーーーーーー(激怒)!


と叫ばないか?俺なら100パーセントそう叫ぶわ(-_-#)。ま、大概の人はあまりに脈絡なくて( ゚o゚)な顔して呆気に取られちまうだろうけどね(笑)。てもね、「これ」一つの「無言の前提」が在ると「成立」しちまうのよ。つまり、チャートしてみると


1、イランにおけるモンゴル王統は「正統」である。
          ↓
2、何故ならいまやモンゴル王統による「世界制覇」が成し遂げられ、
          ↓
3、あまねく世界に「平和」がもたらされたからだ。
          ↓
4、よって、モンゴル王統の「分封」たるフレグ・ウルスの統治も
          ↓
5、「世界平和」の一環であり、イランの民もこれに従うべきだ。
          ↓
6、よって、カンと宰相は如何にして世界が一つとなったのかを民たちに告げよう。


1が「チンギス統原理」、2〜3が「ジャハーン・グシャー(世界征服者)原理」、4〜5が「ジャハーン・グシャー(世界征服者)原理」による「フレグ王統」の「正当化」、6が「諸々の歴史を集めたもの(集史)」編纂による「諸史(世界史)」の創設だ。な、「成立」してるだろ?だだし、


実はこれ「思考ロジック」が「逆転」している


んだよね(-_-;)、みんな気付いた(笑)?気付いた人は「法文学」にけっこう適性があると思うぜ。後継思想例えば「ロシア・メシアニズム」などでは、これがかなり高度な「論理テクニック」をもって意図的に「隠蔽」されている。本稿のメイン・テーマの一つなので後述する。この、「ジャハーン・グシャー(世界征服者)原理」の「逆転ロジック」問題は一般に考えられている以上に「現代思想」特に「極左思想」に強い影響を与えているのだが、ま、時間があったら書くよ。最後に「ジャハーン・グシャー(世界征服者)原理」の形成過程についての簡単な解説を書いておく。はっきり書く、


「ジャハーン・グシャー(世界征服者)原理」には「断代史」思想を始めとする「チャイナ思想」の「強い影響」が認められるってこと。


同時に「イスラム思想」もかなり「混交」していて、これは「後期」になればなるほど色合いを増していく。キーパーソンとなるのはやはり「耶律(ヤール)氏族」だろう。プロゴダニスト(主導者)である「運命の王」モンケ・カーンを始めとするトゥルイ4兄弟は明らかに4人とも「ジャハーン・グシャー(世界征服者)原理」を信奉していたが、面白いことに


4兄弟の年の順に「信奉」の度合いが異なってる。


「狂信的」に最も信奉していたのがモンケ・カーンで、最も「薄い」のがアリクブケ・カーンだ。これはこの思想がトゥルイ家内部、特に父親トゥルイとその周辺域で最初の「核」が形成されていたことを表している。「チャイナ思想」の「天下」思想から「四夷」思想を排除し「仮想的」に「全地球展開(グローバル化)」させたものだと考えれば、アウト・ラインの「理解」としてはOKだと思う。ま、この「思想研究」おれ自身も始めたばっかりで判らない事だらけだけどね(苦笑)。さて、長くなったな。前置きはこのぐらいにして北西モンゴル史そしてその結果としてのロシア史の分析はまた次回語ろう。


PS、はーーー、ちかれた(ToT)。人生と脳みそをカンナで削るような努力してるのにやれどもやれども終わらない(ToT)。すでに原稿用紙で120枚近く書いてるのに本論に届かないで、新たな「論題」だけ増える増える(-_-#)。神様・仏様今までの「不信心」を心より謝罪いたしますm(_ _)mから、もうこれ以上俺の頭の上にだけ「課題」雨あられのように降らすのやめてください(ToT)。なんでこうなる、とっほほーーーーーー(ToT)(ToT)(ToT)。



おまけにみくしー検索かけてみました。

「思想分析」


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