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2018年10月04日12:30

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最近、思ったこと。part0036

 〔緊急連載〕ロシア東欧史概論対露アウトライン・ダイジェストその11{かっ飛びつまみ食い編その9}。さてと、急ごう。おとといはイライラし過ぎてつい「愚痴」書いちまったからな(-_-;)、愚痴ってる場合ではなかった。時間が無い。ファイトo(-_-)o。前回、「運命の王」モンケ・カーンの戦死までやった。ここから、本格的に「北西モンゴル史」にはいるのだが、その前にちょーーーー簡単にではあるが「中期モンゴル帝国史」と「後期モンゴル帝国史」のポイント解説をやっておくことにした。


みんなにジンギス・カーンの「生霊」が取り付いちまっても困るからね(笑)。


「生霊退散!」の「御札」を事前に張っておこうってわけ(笑)。実際、俺の論考入り口にして「ユーラシア主義」あたりへ行かれても困るしね、「敵」量産してどーーするよ(-_-;)。「生霊退散!」(笑)の「中期モンゴル帝国史」とは1264年のクビライ・カンによる「帝位簒奪」に始まり、1388年のイェスデルによるクビライ王統の「王統廃絶」までを指す


モンゴル帝国の「分裂」と「解体」の時代


の事。一般にモンゴル帝国時代とはチャイナ「断代史」の影響も有ってこの時代のことを指すが、実態は「超広域」の超巨大帝国が複雑怪奇な「内紛」を繰り返しながら「ゆーーーーくり」と「分裂・解体」を繰り返し多数の「地域・民族国家」へと「分解・再生」して行く過程なのさ。この


「分解・再生」によって生まれた「地域・民族国家」の一つがロシアなの(-_-;)。


韓国やイランもそうだし、本人たちは酷く嫌がるだろうがチャイナも一面この「地域・民族国家」の一つとしての「側面」を持っている。詳しい「経緯」やその悶絶するような「実態」はいずれ書こうと思ってる「中期モンゴル帝国史」で書くよ。その


「軍事・商業」帝国による「社会資本」の壮絶な「食い潰し」をね(黒笑)。


チャイナなんざ、戦争も無いのに黄河の「河道」まで変わって「大飢饉」だよ(-_-#)。そして1388年のクビライ王統の「王統廃絶」からいま「現在」まで続くのが「後期モンゴル帝国史」。ビックリΣ(OoO)してる人も多いと思う(笑)。実は


「後期モンゴル帝国史」は本質的に「思想史」なのよ。


さらに、二度ビックリΣ(OoO)でしょ(笑)。「クビライ王統廃絶」後、本土モンゴル高原に限らず世界中で我こそはジンギス・カーンの「後継者」たらんと名乗りを上げだ人が続出したの(-_-;)。代表的な「歴史的人物」は以下の三人


1、キャン・バルラス・テムル(チムール大帝)       1336年〜1405年

2、イヴァン・ヴァシリエヴィチ・リューリック(イワン雷帝)1530年〜1584年

3、アイシン・ギヨロ・ホンタイジ(愛新覚羅皇太極)    1592年〜1643年


だ。細かい人物合わせるとほんとーーに「無数」にいる(苦笑)。そして、その最新バージョンがハゲチビ(ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン1952年〜)なわけだ(怒)。時代も人種も民族も伝統もバラバラな人物がそろって「同じ事」いいだすのは「同じ思想」的背景を持っているという証拠なの、そして、その「思想」を


「ジャハーン・グシャー(世界征服者)の原理」


という。仮面ライダー風に言うなら「世界征服」を企む「悪の思想」だな(笑)。現在一般には「チンギス統原理(モンゴル人・モンゴル系国民はジンギスカン家の君主を戴くべきだの意味)」と「デマ宣伝」されているが、「ジャハーン・グシャー(世界征服者)原理」と「チンギス統原理」および軍事合理性絶対の「ジンギス・カーン戦略」の3つは、


一部重複しながら基本「別々の論理」なの。


よく「混同」されやすいので注意してほしい。ま、その辺の詳しい解説は「後期モンゴル帝国史」で書くよ。時間なさそうだけど(-_-;)。さて、問題となるのは「ジャハーン・グシャー(世界征服者)原理」だ。「チンギス統原理」なんかではない、だってこれ対応簡単だろ


モンゴル国でやってくださいね(ニッコリ)。


でお仕舞いだ(笑)。問題となるのはあくまで「ジャハーン・グシャー(世界征服者)原理」(怒)。これは古代末期からの「遊牧騎士」の文化を論理的に「極限」まで推し進めたもので、初期モンゴル帝国内部で複雑な経緯を経て「形成」され「宣撫」されたもので、多くの人が係わっているが、あえて一人プロゴダニスト(主導者)をあげるならばそれはやはり


「運命の王」モンケ・カーンということになるだろう。


中期モンゴル帝国は政治的実態としては序々に「解体」に向かいながら、同時に「ジャハーン・グシャー(世界征服者)原理」という「強烈な政治的イデオロギー」を全世界に積極的に「拡散」させていったのさ。はーーーー、まったく迷惑な事してくれるよ(怒)。そしてこの「強烈な政治的イデオロギー」の宣撫を目的とした一種の「聖典」として書かれたのが「諸々の歴史を集めたもの(集史)」であり、「タリーヒ・ジャハーン・グシャー(世界征服者の歴史)」なわけ。ちなみに「バチ」があたったのか、「集史」が完成したわずか24年後に編纂主体だった「フレグ・ウルス」は滅亡します(笑)。ま、今言いたいことはこのぐらいかな。それでは「運命の王」モンケ・カーンの死を契機についに始まった「帝位継承戦争」とそれが北西モンゴル人たちに与えた影響についてはまた次回語ろう。


PS、ついでに書いておくが「ユーラシア主義」はこの「ジャハーン・グシャー(世界征服者)原理」を基盤とした擬似地政学理論。主対象はチャイナとインドで、一部ドイツとアメリカを対象とする。日本関係ないのに「間接的恫喝」を目的に延々とネットと出版で「宣撫」が続けられている。ほんと、いいかげんにしてくれ(ToT)。とほほ。




おまけにみくしー検索かけてみました。 「世界征服」が結構出てきてワロタ。


「世界征服」


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「ユーラシア主義」


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