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2018年08月18日08:31

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9月の「ラテンアメリカ探訪」詳報

第161回ラテンアメリカ探訪例会のお知らせ

「メキシコの北川民次と彼の戦後(藤田嗣治と比較して)」
北川民次は戦前に渡米し、ニューヨークで働きながら美術を学び、当時の社会主義思想に啓発されていった。その後ハバナからメキシコへ行き、シケイロスやリベロの民衆の姿をテーマとして社会派の壁画運動に共感を覚え、メキシコ・シティ郊外のチュルブスコの野外美術学校で、子供たちに絵を教えるようになっていった。この時のメキシコの児童画を集めた展覧会が注目を集め、欧州各地を回り、パブロ・ピカソが称賛することに。また藤田嗣治とも同時期に出会っている。
1936年、北川は軍国主義が強くなる中日本に帰国した。藤田嗣治からの誘いを受けて戦争画制作にも手を染めるが、やはり馴染めず、悩みつつ疎開した瀬戸市で女学校の図画の教師となる。戦後当初はまだ無名だったが、精力的に美術製作活動を行うと共に、児童美術教育の普及と研究に貢献する。そうして次第にメキシコの光景や農民の姿、母子像を描いた作品により、メキシコ派画家として注目されて行く。
一方、戦前、パリで妖しい女性美を描き出し、大成功を収めた藤田嗣治はメキシコで北川民治と出会い、その後日本で北川民治を応援する。しかし自身が戦争中、積極的に軍部に協力し多くの戦争画を描いたことで、戦後は批判を浴び、日本を離れ、米国へ、そしてフランスへ戻り、パブロ・ピカソに暖かく迎えられた。日本に帰ることなく、カトリック信者となりレオナルド・フジタと名乗り、子供たちの絵を描きつづけた。
戦前に日本から飛び出し、才能を開花させた北川民治と藤田嗣治、二人の対照的な生き方と画風、そしてメキシコでの二人の出会いと、帰国後の二人の生き方を対比して、日本社会での洋画の社会的立ち位置と云うものも考えてみたい。

日時=2018年9月10日(月)午後7時〜9時
会場=千代田区和泉橋区民館5階洋室D
JR秋葉原駅昭和通り口下車徒歩3分、書泉ブックタワー隣
発題者=安藤二葉(版画家)
会場費=400円

ラテンアメリカ探訪
http://latinestudiar.web.fc2.com/

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