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2026年10月06日07:41

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松原照子の「世見」(転載)

本日の世見  2026年10月06日(火曜日)

『直木と芥川』

新人・中堅作家の大衆小説賞といえば「直木賞」。
無名・新人作家による純文学賞といえば「芥川賞」。
直木三十五、芥川龍之介という二人の名を残すために、この賞を設けたのは菊池寛です。
直木三十五は、闘病の末43歳で亡くなり、芥川龍之介は35歳の時、東京の田端の自宅で服毒自殺をしました。

二人の人生を、私なりに思い描いてみますと、それこそまるで小説のようにも思えてまいります。
「藝術は短く、貧乏は長し」と、直木三十五の言葉が文学碑に刻まれているのが直木三十五。
この文学碑は、横浜市の慶珊寺近く、旧宅跡の門前にあります。
私は一度訪れて、当時流行作家だった直木の“気”を感じたいのです。
「借金王」と言われた直木ですが、彼は早稲田大学に入学したものの、学費が払えなくなり、大学から除籍されたといいます。

私が直木という人が好きになったのは、「偽の卒業写真」の存在です。
だってね、大学から除籍されたことを父親に隠したいという一心で、卒業式の集合写真撮影のシャッターが押される瞬間に、友人に確保してもらっていた椅子に座り、卒業写真を撮ることに成功したというのです。
あなたもこの写真を見つけられると運気がアップするかもしれませんよ。
どうやら最後列の右端が直木のようです。

彼の著作には、代表作『南国太平記』の他、水戸黄門の原作になった『黄門廻国記』などがあります。
直木が入院してから43歳で死に至るまで、彼の病状はラジオや新聞で報道されました。
葬式も盛大だったようです。

芥川龍之介ですが、「ぼんやりとした不安」が彼の本心だった気がしています。
彼は、自分がいつ発狂するかを恐れていたのではないでしょうか。
でも、死の選び方の答えの中には狂死(発狂して死ぬこと)を断念した理由があり、芥川らしさが感じられて、何故か親しみを覚えます。
芥川の実母の死が、彼の人生を作り上げた気もします。
10歳の時、すでに精神に異常をきたしていた実母が死んでしまいます。
後年、芥川は狂死を断念して自死を選んだのではと、私は思います。
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