保阪正康著『昭和陸軍の研究』を読んでいる。
上下巻で、下巻の途中まで来た。
面白いという表現をするのは、はばかられる重みがある。
ただ、読むのに努力が必要かといえば、重い内容を努力して読んでいるのではなく、目が離せなくて引きずられるように読み進めている、というのが正直なところだ。
上巻を読み終えたときに、あれこれメモを書き、レビューしようとしたんだけどさ。
思い返すとキーボードをたたく指が重くなり、結局まとめられずに非公開にしている。
そのうち、書くだろうけど。
昭和陸軍というと鉄拳制裁のイメージがあるけど、どうしてそういう組織になったのか。
欧州事情は複雑怪奇といった平沼騏一郎の無責任さは、ひとつ間違うと最近観た映画『新解釈 三國志』のようなコントとして見えてしまうんじゃないだろうか、とか。
中国を進軍していった下級兵士が将校の命令で中国人の家族を「対処」させられ、戦後、将校に聞いたらなにも覚えていなかったエピソード、とか。
史料だけでなく、当時、まだ存命だった従軍経験のある方々にも話を聞いているだけに、重みというのがどかりとのしかかってくるんだよなぁ。
参謀だなんだといったって、陸軍はつまるところ官僚組織で、絶対防衛圏なんていっても根拠のないただの作文に過ぎない、という話があった。
なんと無責任な、と思う一方で、自分の仕事だって役所に出す書類は多かれ少なかれ、「作文」という性質は持つ。
自分がその立場に置かれたら、どの程度、「責任のある行動や判断」ができるかと考えると、また気が重くなる。
そういう方向に注意が向くのが、自分自身、組織である程度判断をしなければならないポジションにあるからなのか。
そう思うと、歴史に学ぶって、重いね。
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