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2026年08月14日09:04

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松原照子の「世見」(転載)

本日の世見  2026年8月14日(金曜日)

『千疋屋と諭吉』

天保5年といえば、1834年です。
この1年前の1833年に「天保の大飢饉」が起きています。
天保5年に創業したのが、千疋屋総本店です。
この屋号は、埼玉県の「千疋の郷」(現在の越谷市東町)に由来しています。

創業者の名は大島弁蔵。
彼は千疋の郷で槍術の道場を開いていたのですが、舟で新鮮な野菜や果物を江戸に運ぶことを思いつき、江戸葺屋町(現在の日本橋人形町三丁目)に店を構えたのです。
二代目になってからは、徳川家御用商人になり、慶応3年に、日本で初めての果物専門店になりました。
水菓子とは果物の別称ですが、「水菓子といえば千疋屋」と呼ばれるようになったのです。
192年の歴史が詰まった千疋屋さん、今は何代目の方がこのお店を継いでおられるのでしょうか。
私はグリーン地にバラの絵をちりばめた、あの千疋屋さんの包装紙が好きです。

日本には、江戸時代以前から続くお店って、ほかにどのくらいあるのでしょうか。
1834年に創業した千疋屋さんですが、翌年に誕生したのが福沢諭吉です。
諭吉は、幼少期は勉強嫌いな子供だったと言われています。
4人いる諭吉の兄や姉も大阪生まれの大阪育ちで、諭吉は末っ子。諭吉が2歳の時、父の百助が亡くなり、一家そろって中津(現在の大分県中津市)に戻ったのです。

諭吉は結婚して9人の子を持つ親になり、66歳の時脳溢血で倒れて亡くなるまで、数々の功績を残しました。
諭吉は、江戸で蘭学塾を開くと決め、中津藩の江戸家老が、諭吉を講師として招いたことから、諭吉の江戸入りが決まり、現在の東京都中央区の築地にあった中津藩中屋敷内に蘭学塾を開いたといいます。
当時日本橋人形町にあった千疋屋さんで、彼も買い物をしていた‥‥そんな気がします。

明治34年(1901)に亡くなった福沢諭吉の葬儀は、私的に行われたはずなのに、弔問の列は、三田の福沢邸から、墓地のある大崎村(現在の品川区上大崎)の本願寺まで続いたというのですから、諭吉の人柄がわかるような気がします。

※写真は現在の千疋屋の包装紙
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