米原万里著『オルガ・モリゾヴナの反語法』を読んでいる。
すぐに読み終わると思っていたいんだけど、予想以上に読みごたえがある。
いや、電子書籍で読んでるからさぁ、感覚的にどれくらいの厚さの本なのか、なんてわかんないんだよね。
普通の文庫本のイメージだったんだけど、朝のジョギング中や通勤の運転中などの読み上げ動画で3、4日読んでいるんだけど、また60%を超えたくらい。
通常、新書くらいなら2、3日くらいあれば読み終わるから。
予想以上に長いな、というところではある。
ただ、つまんないかといえば、そんなことはない。
むしろ、内容的な読みごたえも予想以上という感じかなぁ。
この本、俺が電子書籍で読むようになって、ごく初期に買っていたと思うんだけど、ずっと積読だった。今みたら、2016年に買っている。もう10年になるのか。
最初にちょっとエキセントリックな印象のおばあさん教師が出てきてね、なんとなくノリにくかったのだ。
米原万里氏のエッセイは好きだったんだけど、最初読んだときはちょっと求める方向とは違う気がしたんだよね。
ただ、今回冒頭を突破して読み進めたら、引き込まれて読めたんだよね。
本書は著者はじめての小説だったという。
でも書かれている内容の背景は、著者の経験だったり、文献等によって実際にあったことを下敷きにしていることはうかがわれる。
60年代のプラハで子ども時代を過ごした志摩は、90年代ソ連崩壊後のモスクワで、自分が学校で舞踊をならった教師のことを調べ始める。
オリガ・モリゾヴナというその教師は、エキセントリックな印象のおばあさんなんだけど、志摩には大きな印象を残していた。
大人になり、翻訳の仕事が軌道にのった志摩は、モスクワで当時の友人カーチャとともにオリガ・モリゾヴナをはじめとする当時の教師や、まわりの大人のことを調べ始める。
そこでみえてくる、60年代の共産圏の世界。
志摩やカーチャの子ども時代が不幸だったか、といえばそんなことはないと思う。
60年代に思春期を過ごしたとすれば、俺よりも10〜15くらい上ということだろう。
当時の少年少女の感覚として、決して遠いものではないと感じた。
ただ同時に、軍とか党とか、影を落とす存在がいたんだよね。
さらには、自分たちの教師が若い時代、つまり30年代くらいの国の状況はもっと過酷で残酷なものがあった。
小説仕立てではあるが、現実にあったのだろうことがなまなましく語られる。
なんだか、今の自分の生活すら、ひどく脆いバランスの上に成り立っているようにすら思える。
今、生きているこのまわりの環境を、大切にしたいとなぁ、って。
続きを読んでいこう。
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