現在の六甲山がある場所は、かつては低い丘でした。
ところが、断層運動が約100万年前からはじまり、
約70万〜80万年前から低い丘が山地へと
隆起しはじめたと考えられています。
さらに隆起と同時に現在の大阪湾は沈み始めました。
この一連の大地の動きを「六甲変動」といいます。
うっそうとした原始林が広がっていたが、
弥生時代中期以降になると、
花こう岩風化土壌地帯の六甲山系から派生する尾根上に、
平野部では見られない明らかに特異な集落が
東から長尾山系の宝塚市旧清、六甲山系の西宮市五ケ山、
芦屋市城山・会下山(えげのやま)、
神戸市坂下山・金鳥山・荒神山・赤塚山・
伯母野山・牛小屋山・布引丸山などの遺跡にみられる。
おそくとも弥生時代中期後半にあらわれること、
六甲山系から南に派生する尾根上で、
標高100〜200メートルの地帯にあること、
しかも高度差だけの問題ではなく、
その地点が南に広がる大阪湾と瀬戸内海、
また東西にのびる平野部をみわたせることなどを
あげることができる。
平地の集落と違い、農耕作業に向かない土地なので、
狩猟生活を余儀なくされる生活は、
猟師の姿をした平十字(ひらとうじ)と出会い、
発見されたカタカムナ文化に繋がっても、
不思議では無いと思いますが、前編でも書きましたが、
昔から六甲を舞台に幾度と戦場となり、
その後は、城跡に用いるために石を切り砕いたり、
爆撃の練習地となり、山々は原形をとどめておらず、
下記の場所で、痕跡が見られるだけになっているのは、
歴史を知るうえで、非常に残念なことであります。
・六甲比命大善神社・・・・心経岩、仰臥岩、雲ヶ岩
・越木岩神社・・・・甑岩
・生石神社・・・・石の宝殿
・保久良神社・・・境内外に多数の磐座群
・伯母野山遺跡・・・灘区篠原篠原伯母野山町
・会下山遺跡・・・・芦屋市三条町
・布引丸山遺跡
・長尾山系の宝塚市旧清、
・六甲山系の西宮市五ケ山、
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