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2025年08月11日15:03

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山梨県の果物と日本住血吸虫

(出典;「死の貝」小林輝幸)

なぜ山梨県は日本でも有数の「くだもの県」になったのか?
…
それは、日本住血吸虫を駆除するためである。

日本住血吸虫は中国やフィリピンなどでもみられる寄生虫だが、
日本で寄生虫の正体が発見されたので「日本住血吸虫」という名前になった。
宿主は人間だけでなく犬だの猫だの牛だの、広く哺乳類に寄生。
糞便の中の卵が水中でふ化し、ミヤイリガイという貝の中で成長。
(言うまでもないがこの貝も宮入さんという人が発見した中間宿主)
セルカリヤという水中を泳げる形になって水に戻り、
その水に入った哺乳類の皮膚から感染、血管に入り込み、
門脈という肝臓に入る太い静脈の壁に「雌雄がくっついて」寄生。
血液の栄養を吸い取りながら卵を産み続ける。
成虫の寿命は約3年だが、たとえば田んぼの水にミヤイリガイがいるなら
田んぼ作業をするたびに感染し、ついには多大な腹水貯留と肝機能障害で亡くなる。
若いときに感染すると栄養不足で身長が伸びなくなる。

古くは紀元前2000年のミイラ(中国)の肝臓から
日本住血吸虫の卵が見つかるほど歴史のある病気である。

ミヤイリガイはきれいな水の流域の泥の中でしか生息できない。
だからちょっと昔までは日本中で見られた。
「甲府盆地」「広島県、川南村付近」「佐賀県、福岡県の筑後川流域」が
特に患者が多い地域として知られていた。

まずはミヤイリガイを駆除するために殺貝剤がまかれ、
次にミヤイリガイが住めなくするように用水路をコンクリート製にした。
広島と九州ではこの作戦がかなりうまくいったのだが、
甲府盆地の川は流れが急で上流の水源は山中に何か所もあり、
そのすべてをコンクリートで固めることはできなかった。

戦後の復興期に山梨県は養蚕拡大のため水田をどんどん桑畑にしていったが、
昭和30年代から繭の値段が下がり、養蚕業は衰退する。
これに代わる産業として「都会のデザートとしての果物」を供給することになり、
桑畑は果樹園に変わっていった。
都会からのブドウ狩客やワイン醸造などで収入が上がるため、
水田を維持していた農家も次々に果樹園に切り替えていった。

もちろんこの背景には「水田や湿地をなくして病気根絶!」を目指す
山梨県の後押しがあった。

これがミヤイリガイの撲滅に、さらには日本住血吸虫の終息につながった。
いまだにミヤイリガイは生息してるが数が激減しており、患者は出ていない。

治療薬としては大正2年に万有製薬からアンチモン剤の「スチブナール」が出ている。
注射剤で1日おきに投与し、4回目のあとは糞便検査で卵が見られなくなるが、
悪心嘔吐頭痛などの副作用が強い。
昭和54年にはバイエル社から経口剤ビルトリシドが出る。
これは1日2回、2日間でよい。
アジアの国々にとっては高額な薬であるがWHOが無償提供している。

ちなみに、日本住血吸虫はミヤイリガイの中でしか成長できない。
なぜミヤイリガイだけなのか?はわからない。
現在は洗剤の泡などで河川が汚染され、ミヤイリガイは絶滅に近い状態である。

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