一昨年5月、父親が他界しておりました。
その数ヶ月前から状態が悪かったのは知っており、ここで驚くという事は無かったのですが、そこからの流れは長男である兄が喪主としても家長としても仕切っておりました。
16年前に母親が他界した時は、まだ元気だった父親が全て取り仕切っていた為、私はもちろん兄も葬儀その他の段取りを決めていくような事は何も無かったと思います。
私に関する限りは今回も段取りは兄任せであり、兄から話を聞く程度。
そうした話や葬儀屋さんとの話(ここには私もいた)の中で色々気がついた事、思った事が有りました。
昔は葬儀と言うと自宅か公民館、集会場のような場所が多かったように思います。
この20〜30年くらいでしょうか、世の中が高齢化したからか、○○式典などのような専門業者さん?のホールが街中にも目立つようになりました。
しかし、コロナ禍以降はうちがそうであったように、多数の会葬者が来場する葬儀は減り、家族葬が増えているよう。
そうなると葬儀屋さんとしては収入が減少し、経営が厳しくなっているのでは…
常々そんな事を思っていましたが、今回利用した葬儀屋さんは近年店舗が増えているっぽい。
一回の単価は下がっているであろう状態で、よく店舗を増やす事出来るよな?
そんな事を考えつつも、危篤の知らせを受けて会社から病院に向かった日は次から次へと考えねばならない事だらけであり、式の相場などを調べている余裕が無く…
後日、納骨の際に「こりゃ良い骨壺だ!」と驚かれたり、カタログ上の上級コースで選んだ訳でもないのに、かなり値が張るものを薦められていたよう。
もちろん事業を継続していくのには利益が必要なのは言うまでもありません。
また故人の為に精一杯の…という考え方も有るでしょう。
とは言え有名人ならばいざ知らず、一般人であり、まして家族葬にそれが必要かどうか?
それぞれ事情は異なるでしょうからあまり多く語りませんが、慌ただしい中でもこれはよく吟味すべきと思います。
その後も兄と会う機会は何度と有り、色々話を聞く中で、当宗派の大元となる京都の寺院に母親の遺骨が分骨されていた事が判明し、父親の分骨もせねば…という話が出てきましたが、これには私が待ったをかけました。
母親の系統は北陸がルーツですが、現在はそこに誰も(たぶん)おらず、だいたい関西以西に住んでいるよう。
ならば京都の寺院に代々分骨されていたとは考え難く、母親の兄弟(私からだと叔父、叔母)らが墓参し易いように…という配慮だったのでしょう。
その叔父、叔母も老いてしまい、その子、つまり私からは従兄弟も子供の頃に会ったりはしていますが、私はもちろん兄も没交渉だそう。
その状態でも分骨し続けるべきものか、再考すべきでは?
そもそも兄も子供がいないので、ウチの家系は断絶が必至。
現在の霊園さえも維持すべきかどうか?といったところです。
…などのように今まで分かっていなかった事、考えていなかった事がどんどん出て来ているよう。
もっと早くから色々聞いておけば良かった…と思っても後の祭りです。
そうした諸々は兄が行っていますが、ストレスが溜まるのか、会った時は愚痴ばかり(笑)
まぁ、ここはちゃんと聞くのが弟としての務めというものでしょう。
適切な表現ではありませんが、親が自分より先に死ぬのは自然な事でもあり、元気なうちに聞くべき事を聞いておくこと、そして混乱している時かもしれませんが、葬儀諸々のコースはお店のお薦めより自分の経済状態をよく考えて決めること。
心がこもっているのは高いコースであり、そうでないコースは心がこもってないというものでもない筈。
これらは重要だと思います。
何らかの理由で自分が先に死ぬ事も有りますが、でなければ何処かの時期に有り得る事ですから、何かの参考になりましたら…
写真は関係無いですが、地元薬園台駅から見た夕焼け空です。
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