去る5月29日、佐賀県が、4月末に吉野ケ里遺跡の未発掘だった区域で
邪馬台国時代のものとみられる未盗掘の石棺墓が新たに見つかったと発表しました。
この未発掘の地域は、日吉神社があって、これまで発掘出来ない区域でしたので、
「謎のエリア」と呼ばれる一角で、
神社が移転したため、発掘が可能となったとの事です。
石棺墓は、石蓋4枚が1列に並び、安山岩で、
全長約2.3m、最大幅約65cm、最大厚さ約17cmあり、
表側には「×」や「キ」に似た線が多数刻まれていて、
3枚のうち表側に線がなかった1枚の裏に「×」のような線が確認されたとの事で、
線はいずれも蓋の片側のみに刻まれていて、
死者を封じ込める意味があったとみられています。
また、蓋の内側が赤く塗られていた可能性があり、
高い身分の人の墓である事が予想されているようです。
今回の発掘が大きな注目を浴びているのは、
やはり邪馬台国との関連があると思われているからなのでしょう。
吉野ヶ里遺跡は、弥生時代後期には外壕と内壕の二重の環濠ができ
集落の防御が特徴の遺構です。
1986年から本格的な発掘調査が始まった頃から、
邪馬台国ではないかと話題になりました。
邪馬台国がどこにあったかは、古くは江戸時代から論争が続いて来ました。
大まかに言うと九州説と畿内説に分かれますが、
更にその細部でも様々な説があります。
九州説の中には、吉野ケ里遺跡を邪馬台国とする説もあります。
今回発見された石棺墓は、未盗掘と言う事ですので、
エジプトのツタンカーメン王の墓のように、
大きな発見につながる可能性もあります。
現在の報じられている石棺の様子では、大量の土が入っているようなので、
日本の土壌は酸性が多いですから、遺骨等は期待できないと思いますが、
どのような副葬品があるかですね。
邪馬台国の卑弥呼は、魏の皇帝から金印を授けられています。
もし、金印でも見付かるような事があれば、
ほぼ吉野ケ里遺跡が邪馬台国と決まりそうな感じがしますが、
どうなるでしょうか?
余り簡単に決まって欲しくないとの思いもありますが、
ともかく、発掘調査の結果の発表を楽しみにしています。
【今日の一句】
唐揚げは おかずない時 非常食
冷凍ですが。
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