10月28日と29日に伊勢神宮に行って来ましたが、
色々と神道について考える事がありました。
ざっくりと書くと、神道は経典を持たない宗教です。
キリスト教や仏教との大きな違いです。
神道では八百万の神々との表現を使いますが、
それぞれの神社の御神体が、山だったり岩だったり樹木だったりします。
やがて仏教が入って来ると、本地垂迹説が生まれ仏教と融合されます。
これに対し鎌倉時代後期になると伊勢神道などの反本地垂迹説が唱えられます。
伊勢神道では、皇統の無窮、神宮の尊貴性など神国思想が説かれ、
これが皇国史観に繋がって行くのだと思っています。
戦後、皇国史観は完全に否定されますが、
神社庁を中心とする皇国史観の残滓が、
今でもそれなりの力を持っているような気がしています。
参拝の方式は、二礼二拍手一礼と言われていますが、
これはそんなに古くからある形式ではありません。
いつ頃から始まったのか、明確には分かりませんが、
元々は神職が玉串奉奠を行う際の作法のようです。
僕は、小さい頃から近くの二荒山神社などによく行っていましたし、
古いものが好きなので、学生時代も神社には行っていますが、
若い頃には、二礼二拍手一礼と言うのは聞いた覚えがありません。
一説には平成に入った頃から広まったとの事ですが、
僕の感じとしてもそんな気がします。
二礼二拍手一礼との流れでは、どこで祈るのかが明らかではありません。
拍手の後、手をそのまま合わせて、
家内安全でも大願成就でも神に祈る人が多いような気がしますが、
拍手は手を離さないと拍手ではないような気がするのですが。
二礼二拍手一礼の最大の問題点は時間が掛かる事のような気がします。
初詣などで経験された方も多いかと思いますが、長い行列になります。
29日に行った内宮の正殿の前では、
係の人は左右に広がってお参りしろと言っていましたが、
皆さん真正面からお参りしたいのでしょう、行列になっていました。
僕が若い頃に行っていた二荒山神社の初詣は、
境内に入るまでは石段を昇るのに行列になっていましたが、
境内に入れば三々五々散って参拝していました。
出雲大社などでは、二礼四拍手一礼となっていますので、
二礼二拍手一礼は全ての神社があてはまる訳ではないようです。
二礼二拍手一礼を進めたのは、多分神社庁だと思います。
神道が経典を持たず、祭神もまちまちな事から、
外形的に作法だけでも整えて、全国一律の制度にしたいのでしょう。
却って、宗教の本質である祈りをないがしろにしてしまっているようにも感じました。
神社のマナーとしては、鳥居に入る時と出る時には一礼する事もあるようです。
伊勢神宮では、ほとんどの人がやっていました。
鳥居は神と俗を分ける結界との事ですが、
大きな神社などでは、3基や4基はあるものです。
それぞれに一礼するのか分かりませんし、
また稲荷神社などでは、多数の鳥居が奉納されていて、
この場合、どうすれば良いのか分かりません。
多分、これも神社庁が言い出した事なのでしょうが、
神道の信者でない僕は無視しました。
今の社会は同調圧力が強くなっていると言われていますが、
伊勢神宮に行って、そんな事を感じました。
【今日の一句】
客来ない 値下げをしても まだ来ない
何が悪いのでしょうか?
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