mixiユーザー(id:1417947)

2020年12月09日18:23

176 view

醜の御楯・・・

 先日、三島由紀夫について書いた時に、書こうかなと思ったのですが、
 長くなるので、止めた話があります。
 それが、三島が組織した団体である「楯の会」の名称の由来です。
 「楯の会」には、多くの若者が参加し、
 三島事件の際にも幹部が同行し、三島とともに森田必勝も割腹自殺を遂げています。

 この「楯の会」は、「醜(しこ)の御楯」から名付けています。
 武人が自らを謙遜する表現です。
 太平洋戦争中に出陣した学徒の手記や、
 特攻隊として散った若者の遺書などに、多く使われています。
 国民の戦意高揚のために使われたキーワードの一つだったと思います。

 この「醜の御楯」の出典は、万葉集の防人の歌で、
 下野国の今奉部與曾布(いままつりべのよそふ)が詠みました。
 「今日よりは 顧みなくて 大君の 醜の御楯と 出で立つ我は」
 今日からは、自分のことなど顧みずに、
 大君の強い楯として、私は出立する位の意味だと思います。
 この歌は、下野国防人部領使の田口朝臣大戸が、
 大伴家持に撰進した18首の中に入っています。

 今奉部與曾布は、755年(天平勝宝7年)、火長として筑紫に派遣されました。
 火長と言うのは、10人の長ですから、下士官位だったのだと思います。
 今奉部與曾布は、真面目でひたむきな青年だったのかも知れません。
 防人の歌と言うと、家族との離別の悲しみを歌ったものが多いのですが、
 このような歌もあるのですね。
 今奉部與曾布がその後どのような人生を送ったかは分かりません。
 しかし、彼の歌が、千年以上後に、
 多くの若者を戦場に駆り立てる事になるとは、
 考えもしなかったでしょうね。

 色々調べていたら、酒井弘と言う人が、
「醜の御楯」と言う歌を、
 1942年(昭和17年)にレコーディングしている記録がありました。
 作詞 萬葉集 作曲 下總 皖一となっていましたので、
 この短歌に曲を付けたもののようです。

 ともかく、「醜の御楯」と言い出した人が栃木県の出身者だったので、
 書こうと思った次第です。

 明日は、所用のため、日記などは休ませていただきますので、
 お含みおき下さい。


5 8

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年12月>
日 月 火 水 木 金 土
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

最近の日記

もっと見る