むかしむかしそのむかし
昭和59年、高校を卒業後、市川市の学校に通っていた事が有ります。
と言っても、夏休み前にやめて津田沼の代ゼミに入ったので、実質3ヶ月くらいか?
結局、翌年別の学校に入ったので、親にはずいぶん負担をかけたと思います。
それはそうと、今年7月、真間の手児奈(てこな)霊神堂で行われたほうずき市に行っておりました。
その際の日記にも書いていますが、市川駅から手児奈霊神堂へ向かう道の一つ東京寄りの道…大門通りは、3ヶ月ほど通った学校への通学で利用していた道です。
先日、京成に乗っている際、ふと思いついて大門通りを歩いてみました。
京成を国府台駅で下車。
通学時に使っていたのはJR市川駅だったので、国府台駅を利用するのは初めてかもしれません。
この辺り、起伏が少ない平らな場所ですが、学校が有る北側は高台となっています。
この高台には、学校以外に真間山弘法寺などが有ります。
国府台駅から閑静な住宅街を東へ向かい、大門通りを北へ向かいます。
真間川を渡り、少し先に朱塗の欄干が見えてきました。
これは真間の継橋。
と言っても、現在は欄干のモニュメントが有るだけで、その下に川は有りません。
今ではここから海はずいぶん先になってしまいましたが、古代にはこの辺りは真間の入江となっており、大小の砂州が連なり、それらを結んでいたのが真間の継橋です。
通学時は毎日歩いていた道ですが、実は全く記憶に有りません。
当時から世界史、日本史は好きでしたが、こうした郷土史のような事まで興味が行き届かなかったのではないでしょうか。
それとも、ずいぶん新しそうにも見えるので、整備されたのはその後?
これは改めて調べてみないと…
少し先に有るのが手児奈霊神堂。
子猫が寛いでいたので、そっと手を伸ばしてみましたが、逃げられてしまいました(。>д<)
昔は野良猫もよくまとわりついてきましたが、中年になってから、何故かそういう事が無くなってしまいました(/´△`\)
このすぐ先が石段となっており、登りきると真間山弘法寺です。
しかし、石段も山門も本堂も、記憶が刺激されない…
大門通りで通学していたのは確かだし、真間川の橋は記憶に有ります。
してみると、当時はこの石段使っていなかったのか?
石段の手前にゆるりと登って行く道も有るので、或いはそちらを使っていたのかも…なにしろ今みたいに、わざわざ歩いてみるなんて趣味は無かった頃です。
しかし、こちらを歩いてみても、やはり記憶は刺激されません。
約35年前とは言え、幼少の頃ではないし、少なくとも100回以上は歩いている筈。 なんでこれほど覚えていないのか…
なんにせよ、弘法寺を抜けて学校前までは行ってみました。
ここも見覚え無し…
なんだかモヤモヤした気分で、大門通りを歩いて市川駅へ向かいました。
そうそう、通学路と言えば、先日三山神社を引き上げた際、京成大久保駅まで歩いてみました。
この辺りは日大生産工学部や東邦大学、済生会習志野病院などが有りますが、昔は一面軍関係の施設が占めていた場所です。
こちらは私が通学した訳ではないですが、日大生産工学部から駅へ向かう通りには、「坂の上の雲」でも有名な秋山好古大将の記念碑が有ります。
それにしても…
セントラルにいた頃、スイムの仲間で、この通りに有ったお店で飲んだ事が有りました。
この通り自体はそんなに歩いた事が有る訳ではないですが、商店街が昔より疎らになってきたような…
代わりにマンションが増えているようです。
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