mixiユーザー(id:2396826)

2019年10月20日13:39

254 view

このサイトに嵌まってますPart0038


 本日「5.19皇統廃絶クーデター」発生885日目、「極東戦域核戦争」開戦839日目、「人民の天皇論」宣撫開始174日目(怒)。〔再掲〕日本法制通史概論その7。次いで前回の20日後に書いたのが「アンチ・アジア主義」の対抗情報戦論考「亜細亜思想批判要約」の第二回。〔2016年02月20日掲載〕


--------------------------------


最近、思ったこと。part0009編集する
2016年02月20日22:22全体に公開 みんなの日記 3 view

 最近ちょっと怯んでる、ってかちょっと自分に日和始めてる。対アジア主義の対抗情報戦のために「漢学」のおさらいを始めたのは概報したがこれが「途轍もなく厄介」な代物であることがだんだん判って来たのだ。ふーー、マジかい(-_-;)。明日も東京行ってテキスト集めてこなきゃならないんだか、一月たたずにギブアップ寸前だよ(ToT)。何がそんなに厄介なのか?前回、漢学の中枢である「儒教」は宋代(1100年代前後)に解体的に再編成され「新儒教」に生まれ変わったと書いた。どうも思想史的分析を進めていくと「生まれ変わった」のではなく「新規に宣教」されたと解釈したほうが現実的であることがわかってきたのだ。誤解を恐れず言えば


「新儒教」とはマ二教を媒介として儒教用語に翻訳されたアーリア系宗教


ではないのか?という疑問だ。まだ精査の途中だがほぼ間違いないと思う。ま、前々から言われては来た事なんだけどね(-_-;)。そうすると「漢学」理解するために「アーリア学」もやらなければ成らなくなるって訳だ。また、宿題がモーーーーーレツに増えた(ToT)(ToT)(ToT)。何の因果だ!ここでこれ理解をしてもらうために少し比較宗教学的分類に戻ろう。去年の年末、「宗教」=「言葉」であり簡単に発達レベルで分類すると�仝朕誘�(個人の信念)、��家族教(家族的信仰)、�L餌化ゞ機↓だこ�宗教の4つに分類され、�だこ�宗教は「言葉を超えた論理」によって生み出されると書いた。ではこの「論理」とは何なのか?それは「翻訳可能な経典」の事なのだ。だから、�だこ�宗教とは同時に「経典宗教」の事を指す。そして経典宗教とは突き詰めれば二つしかないのだ。つまり


セム教とアーリア教


だ。この二つの宗教は教義を混交させながら分裂・発展してきた。ちなみにセム教のまえにシュメル教(シュメル人の宗教)がインダス文明由来の教義体系を持っていたのではないかいう仮説もあるのだがここでは割愛する。セム教およびアーリア教の後継宗教の思想系図は以下のとおり


セム教┬→バビロン教─────┐
   └→エジプト教→アテン教┴→ユダヤ教┬→キリスト教
                     │
                     └→イスラム教

アーリア教┬→ヨーロッパ系民族宗教(ギリシア教・ラテン教・ゲルマン教)
     ├→ゾロアスター教┬→マニ教
     │        └→マズダク教
     ├→ミトラ教
     ├→バラモン教┬→ヒンドゥ教
     │      ├→仏教───┬→上座仏教
     │      │      ├→大乗仏教→シナ仏教→日本仏教
     │      │      └→チベット仏教
     │      └→ジャイナ教
     └→テンゲリ教(モンゴル天神信仰)


ふーー、膨大すぎて概要の資料算定だけで寿命つきそう(-_-;)。問題となるゾロアスター教(現・パルシー教)やその影響下にあるドゥルーズ教(イスラエルのシーア派イスラム教の分派)の経典なんて門外不出の代物だせ。どないせーーちゅうの?ふーー、ま、いいか(-_-;)。もともと先祖代々仏教徒のおいらはいずれその勉強の一環として「アーリア学」やる気ではいたし、こんな始まりになるとは思いもしなかったけどね。やってみますか、ふーー、こりゃ「思想のヒマラヤ山脈」だな。どう軽く見積もっても100万枚(文庫本で1250冊)へたすりゃ1000万枚(文庫本で1万2500冊)超えるかも。四庫全書(清朝皇帝が作らせた膨大な漢籍百科事典)かよ(ToT)。とほほ。


--------------------------------


作業「算定」終了。アウチ<(T^T)>!「ひでぶ」になりそう(ToT)。「四庫全書丸暗記」的勉強、俺がやるのか(ToT)?ちゅーがっこうの「教科書」さえ碌にできてないのにーーーー(ToT)。「プロ」が林・谷沢両博士亡き後、全員「敵前逃亡」して「かわり」が俺ってとことんおかしくないか(-_-#)?ふーーーー、作業「算定」で時間がかかり続いて28日後に書いた「日本法制通史概論」第18弾。「時代区分法再建編」。本稿の第三ポイント論考。〔2016年02月20日掲載〕


--------------------------------


2016年02月28日20:50
最近、考えたこと。Part0032


 さてと、2月ももう終わりだよ。今月まだ一本も書いてないので諦めたのかと思われるのも癪なので話を続けますか。前回、韓半島をめぐる日満600年戦争の結末と現代まで続くエピローグを書いた。一部外交史のみ突出してしまったんで話を戻します。えーーとこまでいったんだっけ?そうそう、邪馬台国迄行ったんだった。さてと邪馬台国とは大和朝廷のことであり、卑弥呼(日巫女)とは斎宮・御真津比売命のことであることは前に述べた。魏の内政干渉が始まり第11代垂仁天皇が斎宮・豊鍬入日売命さまを女王としてたて対チャイナ外交を断交したが、1700年前に半島からチャイナ軍が撤退し国内統一と挙国一致を訴えた倭武尊の活躍により「国軍」が編成され、その弟君・第13代成務天皇が韓半島への軍事介入に踏み切り「韓国(百済王国)」建国されたってとこまでやったんだったな。そのとき国内では何が起こっていたのか?正直、資料が少なくよくわかっていない。そこで少しチャートして、年代別で古代史を整理してみたい。おいらが作ってみた試案は以下のとおり

−5、紀元前 12万年頃 日本に人類が現れる
     ↓
   (旧石器時代)
     ↓
−4、紀元前  3万年頃 世界に先駆け新石器(局部磨製石斧)を開発
     ↓
   (新石器時代�機�先定住時代)
     ↓
−3、紀元前  1万年頃 海面上昇により大陸と分断。定住始まる。
     ↓
   (新石器時代�供α梓�縄文時代)
     ↓
−2、紀元前3000年頃 後氷期に入り、補助農耕始まる
     ↓
   (新石器時代�掘Ω經�縄文時代)
     ↓
−1、紀元前 300年頃 韓半島より金属器(銅・鉄器同時)に伝来。都市文明起こる
     ↓
   (先建国期・前期弥生時代)
     ↓
 1、紀元前  60年  神武東征、日本建国。
     ↓
   (建国期・後期弥生時代)
     ↓
 2、西暦  200年頃 大和朝廷、出雲王国を打倒し日本を統一。
     ↓
   (大和時代�機α�宮時代前期)
     ↓
 3、西暦  350年頃 大和朝廷、韓半島へ出兵。
     ↓
   (大和時代�供α�宮時代後期)
     ↓
 4、西暦  540年  奈良県明日香村に定常的な首都がおかれる
     ↓
   (大和時代�掘θ�鳥時代)
     ↓
 5、西暦  710年  奈良に恒常的首都「平城京」が作られる
     ↓
   (大和時代�検ζ猯瓢�代)
     ↓
 6、西暦  794年  京都へ遷都
     ↓
   (京都時代�機κ唇損�代)
     ↓
 7、西暦 1192年  鎌倉幕府成立
     ↓
   (京都時代�供Τ�倉時代)
     ↓
 8、西暦 1338年  室町幕府成立
     ↓
   (京都時代�掘�室町時代)
     ↓
 9、西暦 1603年  江戸幕府成立
     ↓
   (京都時代�検�江戸時代)
     ↓
10、西暦 1868年  東京遷都
     ↓
   現代・東京時代


 おいおい、現代まで入ってるじゃねーーかという方に一言。日本は今現在までずーーーーと「古代」が続いてる国なんです(笑)。ローマ帝国の建国者ジュリアス・シーザーと日本帝国の建国者・神武天皇はほぼ同い年。実は「古代・中世・近代」という西洋式区分は「ヨーロッパ史にのみ」に適応可能な「地域史」の区分法でそれをそのまま適応すると


日本では「古代」がずーーと続いてることになっちゃうのよ(笑)。


少し、みんなで考えませんか?あと、従来の日本史の時代区分はチャイナの「断代史」の区分を応用しているので「建武中興(5年)」や「戦国時代(被って被って149年)」や「安土桃山時代(30年)」や「大政奉還時代(1年)」などの微細な時代区分が入ってめんどくさい(ToT)!


国史を分類する最良の方法は「首都」正確には「御所(天皇の宮殿)」が何処に置かれていたのかで分ける方法だ。


まず、それで分け必要に応じてサブカテゴリーを分けていけば良い。つまり、先建国期(含・石器時代)・建国期・大和時代・京都時代・東京時代の5分割が正しい。みんな判ってないよ(怒)。時代区分にはそれ独特の「イデオロギー」が含まれていることを。ちょっと話がずれるけど


「時代区分のイデオロギー的側面」について書いておきたい。


 まず、西洋式区分の方からいこうか。これには、ラテンヨーロッパ人の「文芸復興(ルネッサンス)」というイデオロギーが含まれている。偉大な古代文明を「野蛮なゲルマン人」の民族大移動で失ってしまったが、15世紀から「文芸復興(ルネッサンス)」の天才たちが活躍して偉大な古代文明を蘇らせたってわけだ。さあ、「ローマ帝国を復興するぞ!」って(笑)。近世キリスト教会からフランス啓蒙主義者へ、フランス啓蒙主義者からマルクス主義者へと伝達されてきた思想だ。ラテンヨーロッパ人(イタリア・フランス・イスパニア・ルーマニア人)の恨み節みたいなもんだな(笑)。この区分だと北欧は日本と同じように今でも「古代」だし、バッハみたいなカツラ被って封建領主たちが議会で裁判してるイギリスは今でも「中世」だな(笑)。マルクスはじめユダヤ系の馬鹿が世界中にばら撒いたのを日本国内の近代化主義者(モダニスト)が猿真似して学校教育(主として大学教育)で日本中に広めやがった(怒)。アホかっツーーの!ちなみに


この思想は書いたとおり「ローマ帝国復興論」と表裏一体の関係にあり


、ロシア帝国・アメリカ合衆国・ソビエト連邦・ナチスドイツ・EU(ヨーロッパ連合)で建国の原動力ともなった極めて強力な「政治イデオロギー」なのだ。ふーー。こういうことに関して日本人は鈍すぎだよ(ToT)。おれら日本人にとって「ローマ帝国復興論」なんて何の関係もないし、こんなもんで国史を分類するなんて論外だろ(-_-;)。大体、いつ日本国内で「民族大移動」があったんだよ?「民族大移動」なしになんで「暗黒の中世」を語れるの?「蘇らせた偉大な古代文明」っていったいなに?「ムー大陸」?


もういっぺん言うけど「ローマ帝国復興論」を国史に持ち込むな(怒)!


ちなみに「文芸復興(ルネッサンス)」そのものは実は「天才たちの活躍」ではなくスペインとイタリアにおける「セム系アラブ文明」の導入政策で、その先頭に立ったのがこの時期ヨーロッパに移住した「セム系のユダヤ人」たちだった。主に医療・金融・科学・法律・哲学等の知識が大規模に導入された。レオナルド・ダ・ヴィンチの母親はおそらくアラブ系だ。ヨーロッパ人これ言うとひどく嫌がるけどね。事実だからしょうがない。時折起こる「居座ったお雇い外人」であるユダヤ人に対する弾圧はこれを隠蔽するための一種の心理的防御反応なんだと思う。俺が知る限りこれを素直に認める勇気をもったヨーロッパの知識人はエルンスト・マッハ博士くらいのもんだもんね。うんざり(-_-;)。ついで、チャイナの「断代史」に行こうか。


これには「易姓革命」というイデオロギーが含まれている。


「権力を握った者」は自分が仕えたの「主君」から「皇位を剥奪(禅譲)」してもよいし、場合によっては「滅ぼす(放伐)」することも許されるというチャイナ産の超ウルトラ・トンデモ思想だ。ぞーーーー。正気か?


帝でさえ「滅ぼす」事が許されるんなら庶民を「奴隷化」「虐殺」することなんて日常茶飯事になるに決まってる。


カンボジアでは国王を追放した10年後に大虐殺が起き国民の25パーセントが虐殺された。ロシアでは皇室が滅ぼされた直後から「強制収容所群(グラーグ)」の建設が始まり推定3000万人の人間が奴隷化され虐殺された。皇帝を追放したドイツでは15年後にアドルフ・ヒトラーが権力を握りロシアをまねて「強制収容所群」をつくってユダヤ系200万人を含む600万人が奴隷化され虐殺された。フランスでは国王を処刑した直後からギロチンがフル回転、スーパー独裁者ナポレオンの侵略戦争を含めて人口の1割近くが殺された。チャイナでは皇帝を追放した直後から大内戦が勃発。それを収拾するために毛沢東の軍事独裁が始まり内戦・独裁で合計6000万人が殺され、今も独裁と虐殺が続いている。まだ実例必要か?まだまだいくらでもあるぞ。おかげでチャイナ史には「人口が半減」するエピソードが目白押しだぞ!ぞーーーとしてるの俺だけか?チャイナでは


「皇位簒奪」のたびに「簒奪者」が「自己正当化」のために「簒奪された王朝」の歴史を書く


、いや捏造する実にいやな伝統があるのだ。これを「断代史」と呼ぶ。判りやすく言えば「簒奪された王朝の捏造された記録」だな。な、「いやな伝統」だろ?日本人に生まれて本当に良かったよ(-_-;)。明治時代の馬鹿な歴史学者が「幕府≒王朝」という出鱈目基準を作って無批判に「断代史」を適応したため、幕府以前は首都名、幕府以後は元号名と基準がバラバラになっている(-_-;)。その上、遷宮時代(皇室が頻繁に宮殿を移築した時代)は言うに困って「古墳時代」だって(-_-;)。一言言っていいかな?


「断代史」みたいなアブねー区分を無批判に持ち込むな!この、カンニング野郎(怒)!!!


 ふーーー。これをずっと言いたかったんだ。ずーーーーと。ずーーーーと。ふーー。スッキリしたo(^-^)o。当たり前だか「幕府≒王朝」であるわけないのだ。日本は建国以来ずーーーと、単一の王朝が君臨する「万世一系の法理」を建国の理念としてきており、「幕府」は「国民法(コモン・ロー)」との関係おいて語るべきであり、あえて類似性を求めるなら「議会」とのアレゴリーで語られるべき存在なのだ。ま、これは本稿・日本法制通史概論のメインテーマの一つなのでこれから詳しく語って行くよ。ちょっと長くなったか。今日はここまで、次回は大和時代�供α�宮時代後期をやっていくことにします。とほほ。


--------------------------------


ホタテの糞野郎にパクられたのが「これ」(怒)。繰り替えすが「モチーフ」まねられたのを怒ってんじゃないよ、「捻じ曲げ」られたことに怒ってんの(-_-#)。同時研究はこっちの望むところ。なのに、「オタッキー」が歴史的宗教的「恐怖感」に耐えながら脳ミソかんなで削るような「努力」して書いた「論考」、平気な顔して「東大教授」が「パクッ」た挙句に「捻じ曲げ」るってホントどうなのよ(怒)?「文芸春秋2018年6月号大特集 日本史の常識が変わった 末尾対談 保立道久、加藤陽子、小島毅「「新しい時代区分」が必要だ 泰斗3人の白熱座談会」」とこの論考読み比べてみてほしい。ぜひ!ぜひ!ぜひ!絶対的に「勝つ」自信あるぜ。ふーーー、その辺はホタテ批判でも書いたから採録はしない。「その6」はデーター量の関係から今日はここまで(笑)。まだまだ続きます(笑)。その話はまた次回語ろう。



おまけにみくしー検索かけてみました。

「四庫全書」

新着日記検索結果一覧 (0件)

「時代区分」

新着日記検索結果一覧 (0件)

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年10月>
日 月 火 水 木 金 土
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031