〔緊急連載〕ロシア東欧史概論対露アウトライン・ダイジェストその5{かっ飛びつまみ食い編その3}。「人民の天皇論」宣撫開始まであと231日(怒)。今日は直接本題に入ります。前回、モンゴル帝国は「オプリーチニナとはなんなぞや」ということを論証するため「モンゴル帝国は552年に建国された突厥帝国の時間差を置いた「継承国家」である」を頭に簡単な前期モンゴル帝国史をチャートした。途中までだったけど(-_-;)。そんで前回のチャートは以下の通り
1、戦争強いが政治ができない突厥(トルコ)帝国が552年に建国される。
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2、戦争強いので30年ほどで西はカピス海から東は満州までの遊牧大帝国を建国する。
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3、政治ができないので内ゲバが始まり東西分裂する。
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4、内ゲバの「負け組(カザーク)」が近隣諸国に亡命し傭兵(マムルーク)となる。
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5、国内では分裂・内ゲバが止まらず、国境を挟んでもトルコ人同士が殺しあう。
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6、ついには本拠そのものが近隣諸国に分割統治され際限の無い分裂・内ゲバが続く「地獄絵図」となる。
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7、その「地獄絵図」の中からテムジンが生まれる。
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8、テムジンが手段を選ばぬ戦法で高原を統一する。
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9、部下への「たばね(政治)」を維持するための報償を生み出す「交易路(東部シルクロード)」を制圧する。
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10、テムジンが部下の推戴を受けジンギス・カーンとして即位する。
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11、「交易路(東部シルクロード)」の権益で誘うと金帝国の「負け組(カザーク)」キタイ(契丹)部族が簡単にモンゴル側に寝返る。
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12、キタイ(契丹)部族の活用で宿敵・金帝国があっけなく半壊する。
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13、意を強くしたジンギス・カーンは「交易路(中部シルクロード)」で同様の戦法を取るよう「四狗」の一人ジェベに命じる。
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14、ナイマン部族の残党の制圧下にあった中央アジアで「負け組(カザーク)」カラ・キタイ(黒契丹)部族が簡単にモンゴル側に寝返る。
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15、本隊の到着を待つままでもなくジェベはナイマン部族の残党を単独であっさり制圧。
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16、ジンギス・カーンはユーラシア全「交易路(シルクロード)」制圧を決意して大西征を命じ親征する。
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さてと、続きを書きますか。ジンギス・カーンの「大西征」はあらゆる意味でその後の「歴史」に強烈な影響を与えた「決定的イベント」で、これに比べれば「アレクサンドロスのペルシア帝国乗っ取り(紀元前334年)」も「チャイナ帝国の建国(紀元前221年)」も「サラセン帝国の建国(622年)」もとるに足らない地方史のイベントで、「大西洋航路の発見(コロンブスの航海、1492年)」なんざあからさまに「下位イベント」だ。なのに情報封鎖されてるのか日本国内ではこの「重要性」が意図的に軽視され続けている(-_-#)。
17、ジンギス・カーンは中央アジアのホテムズ・シャー帝国の根幹であるトルコ系遊牧民カルルク族をいつもの手で接収、長子・ジュチに与える。
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18、「四狗」のジェベ・スブタイ率いる最精鋭部隊をキプチャク草原(ウクライナ・トランスコーカサス)への侵攻させる。
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繰り返すが、キプチャク草原(ウクライナ・トランスコーカサス)制圧は「大西征」出撃「以前」にすでに「計画」されていた予定の行動。日本のモンゴル史では「常に」ムハマンド皇帝追跡の「ついで」の威力偵察だったと「解説」されているが、ほんとーーーに「馬鹿馬鹿しい話」さ(-_-#)。どこの世界に全軍の3割近い「最精鋭部隊」を「ついで」の余計な作戦に用いる軍事指導者がいるんだ?
当たり前だかキプチャク草原(ウクライナ・トランスコーカサス)は「大西征」の主攻目標だった。
ジェベもスブタイもキプチャク草原(ウクライナ・トランスコーカサス)とその周辺地域で「圧勝」に次ぐ「圧勝」を重ねていた。そのまま本隊が進撃すれば簡単に「制圧」はなっただろう。少なくともトランスコーカサス地方の征圧は100パーセントあの時点でできた。ではなぜそうならなかったのか?理由は2つある。ひとつは西夏王国が反乱した事。繋がってこその「交易路」だ。その根元が切断されるのはモンゴル帝国にとって致命傷となる。そしてもう一つが
キプチャク草原(ウクライナ・トランスコーカサス)を与える予定だった長子・ジュチが死んだことだ。
キプチャク草原制圧の「目的」が消え、帝国の根幹たる「交易路」が脅かされた、当然守備兵力を残してジンギス・カーンは全軍を率いてモンゴルに帰還しすぐ全軍を率いて西夏王国壊滅戦争へと赴いた。そして、そこで亡くなった。
19、ジュチの死、西夏反乱を契機に「大西征」を切り上げ、赴いた西夏王国壊滅戦中にジンギス・カーンが死ぬ。
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20、ジュチ家をカルルク族の領地へ遠ざけ、トゥルイの領地であるモンゴル本土を兄・チャガタイの協力で押さえたオゴタイが第二代のカーン位に就く。
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21、即座に全軍を南に向け金帝国壊滅戦争へ突入する。その途上、勝利の最大の功労者トゥルイがなぞの死を遂げる。
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22、金帝国を壊滅させた後、オゴタイ・カーンが首都カラコルム落成と同時に「クリルタイ(帝国会議)」を召集する。
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23、「クリルタイ(帝国会議)」でジンギス・カーンの「未完の事業」であるキブチャク草原制圧のため大遠征が議決され軍が組織される。
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よーーーやっと本題に入れる(-_-;)。ここでしつこいようだが「前期モンゴル帝国史」のポイントをを再度提示する。これが判らないと繰り返すが「前期モンゴル帝国史」は何も判らなくなる(-_-#)。参考書に書いてある「モンゴルの強さの秘密」なんて噴飯ものだよ(怒)。合板短弓の強力さ、畜群移動による補給の容易さ、10進法組織による指揮の迅速さ、駅伝制度による情報伝達の早さ、それらはそれ自身は「嘘ではない」だが「本当」てもないのだ、論点ずらしによる典型的な「インチキ」(怒)。それらは全部すでに突厥帝国が実現していた「遊牧騎士」の特徴で「モンゴルの強さの秘密」では絶対にない!いいかげんにしてほしいわ(-_-#)。モンゴル勃興のトゥールス・ポイントは以下の3つ、
1、すべては事前の「計画」によって決まっている。
2、目的は領土・領民の確保ではなくあくまで「交易路」の確保にある。
3、征服は現地モンゴル・トルコ系部族を寝返らせ「組織」する事によって成り立つ。
だ(怒)。一言で言えば「徹頭徹尾の軍事的合理性」だ。ジンギス・カーンが死んだ時、モンゴル帝国は分裂の危機のさだ中にあった。一頭抜き出たのは旧西夏王国とナイマン部族の故地をいち早く自ら押さえ、中央アジアの残留部隊をまとめたチャガタイと組んで「交易路」を抑えたオゴタイだった。モンゴル高原の主トゥルイは手も足も出なかった。一言で言えばトゥルイはこの時点で
「給料」払えない「社長」
にされてしまったのだ(笑)。二重の意味での内戦を回避するためには頭を下げて「部下の面倒」を見てくださいとモンゴル高原を引き渡しオゴタイをカーンに推戴するしかなかった。この「うらみ」が「後期モンゴル帝国史」の「主題(メイン・テーマ)」となるのだが、本稿は「〔緊急連載〕ロシア東欧史概論対露アウトライン・ダイジェスト{かっ飛びつまみ食い編}」なので軽く触れるだけにする。
24、ジュチ家の長バトゥ・カンを総司令官とする5万の軽騎兵からなるモンゴル大遠征軍がトランスコーカサスへ侵攻する。
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25、まず、以前から進めていたカルルク族の地に隣接したボルガ・ウラル地区に侵攻しヴォルガ・ブルガール王国を制圧。
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26、ついで南北から同時侵攻してトランス・コーカサス全体を包囲してトルコ系キブチャク族を制圧、ヤサの軍律下に再編成する。
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27、再編成なった10万騎近い大軍を小手調べにボルガ・ウラル地区に隣接する北部ルーシーに侵攻させる。
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28、リャザン・コロナム・モスクワ・スダダリがあっさり陥落し、防衛出動したウラジミール大公・ユーリー2世を撃殺しウラジミールを占領。
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29、それ見てガリーチ公ダニールやノブゴロド公アレクサンデル・ネフスキーらがあっさりモンゴルに降伏する。
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30、補給のためいったん、全軍トランス・コーカサスへ後退するも総司令官バトゥ・カンとオゴタイの子グユクが指揮権をめぐって対立する。
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31、オゴタイは喧嘩両成敗でグユクとバトゥ・カンの同盟者(アンダ)モンケを部隊ごと本国へ召還する。
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32、純モンゴルの主力部隊が半減したにもかかわらずバトゥ・カンは遠征を強行する。
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33、中部ルーシーに威力進駐してチェルニコフ占領後にキエフを強襲して全面破壊する。
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34、ついでルーシー人を大量徴発して軍を5部に分け、ハンガリーの首都ブタペストでの合流を全軍に指令する。
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35、ポーランド王ヘンリク2世始めとする東欧軍を根こそぎ撃破し、モヒ草原でハンガリー王ベーラ4世率いるハンガリー・ドイツ連合軍を大破しブタペストを占領する。
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36、ウイーンに侵攻直前にオゴタイ死去の知らせを聞き、グユク即位後のトランス・コーカサス侵攻を恐れ全軍に撤退命令を下す。
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37、バトゥはトランス・コーカサスに帰還するも、カーン選出の「クリルタイ(帝国会議)」出席を拒否する。
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これがモンゴル帝国「分裂」の第二の危機。突厥帝国なら100パーセント東西に分裂していただろう。だ・が・繰り返すが「交易路」は繋がっててこそ意味があるの(-_-;)。バトゥもグユクもそれは承知しているんで睨み合いが3年続きシビレを切らしたグユクが自派だけの「クリルタイ(帝国会議)」を開催して第3代カーンに即位。父の「未完の事業」を完遂する名目で大軍を自ら率いてトランス・コーカサスへ向かう。バトゥも全軍を率いて東に向かう。その激突直前にこれまたグユク・カーンが謎の死をとげる。ま、間違いなく「暗殺」でしょ(-_-;)。その後の経緯はあからさまなほどそれを示唆している。
38、グユクがバトゥ抜きで「クリルタイ(帝国会議)」を強行し、カーンに即位する。
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39、グユクは「新征西軍」を組織しトランス・コーカサスへ向かうも途上で謎の死を遂げる。
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40、迎撃に出たはずのバトゥは戦うことなくそのままモンゴル高原に到着し「クリルタイ(帝国会議)」を召集。
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41、「クリルタイ(帝国会議)」はバトゥの二重いとこで同盟者(アンダ)のモンケを第4代にあっさり選出。
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42、モンケ・カーンはハンガリー攻略の「新征西軍」を解体し、「交易路」ではなく農耕地の「領土」獲得を方針とする「新国策」を宣言する。
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43、「新国策」モンケ・ドクトリンを実現するため「クリルタイ(帝国会議)」を召集しイラン・南部チャイナ(南宋)侵攻を決定する。
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44、モンケは2人の弟、クビライを漢地大都督に任じて北部チャイナを統括させ、フレグにはオゴタイ・チャガタイ両家から取り上げた「交易路」付近の領土から徴発した兵力を与えてイラン侵攻を命じ、自分はモンゴル本土の兵力を自ら率いて南部チャイナ(南宋)へと向かった。
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と「前期モンゴル帝国史」はここまで(笑)。これ以上は本筋とはなれるんで、これからはモンケ始めとするモンゴル主流派トゥルイ家と同盟したジュチ・ウルスがどうなっていったのか、つまり「北西モンゴル史」に切り替える必要がある。ま、機会があったらまた書くよ。「モンゴル帝国史」13世紀以降のチャイナ史読むにも絶対的必須条件だしね(-_-;)。さて、その「北西モンゴル史」についてはまた次回語ろう。
PS、ハゲチビ(プーチン)がいよいよ、「北方領土強奪」の仕上げにかかってきたね(怒)。今年のうちの「平和条約締結」を迫ってきた<(T^T)>。安倍3選が実現すれば確率はほぼ半々だと思う。みんな、ハピネス・アナーキー(神州不滅)妄想の「基地外気分」でフワフワしてるけど
「道東諸島(北方領土)放棄」は150パーセント北海道失陥の導火線となる(怒)。
かつての「千島列島放棄」が樺太失陥の導火線になったようにね(黒笑)。くぞーーーーーーー、背筋か寒くて寒くてしょうがない(ToT)(ToT)(ToT)。俺の心は零下五十度下回ってる(ToT)。心理的シベリア送りか(怒)!このまま行けば「肉体的シベリア送り」もうそうと遠くない気がしてきたわ(ToT)。とほほ。
おまけにみくしー検索かけてみました。
「モンゴル帝国」
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