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2017年07月09日19:41

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テレビを見れば。。。。part0172



 はーーーーーーーー(-_-;)、皇統廃絶クーデター発生52日目、極東戦域核戦争開戦6日目(ToT)。今年は「激動の年」になることはわかっていた。だけど、ここまで急速に事態が「悪化」するとまでは予測できなかった(-_-;)。だれが、自国巻き込む「核戦争」の開幕予測した(怒)?ぐぞーーーーーー(ToT)(ToT)(ToT)。ほんとーーに時間がない(ToT)。〔緊急連載〕現代日本・政治経済史まとめ・その6。「老中制度」の法学的解析の途中だが、先に戦後編のアウトラインをダイジェストしておく。ほんとは反則なのだが(-_-;)中川八洋が日本における「保守の絶滅」を1984年としていることに酷く腹が立った(怒)。日本における


「保守の絶滅」は1984年ではなく1975年に起こったんだよ!


とそれを声を大にしていいたい(怒)。なぜならその年に日本政界における「最後の保守主義者」佐藤栄作前総理が「後継者」を持たず亡くなったからだ(ToT)。話は敗戦・占領期に遡る。先帝様は「ポツダム緊急勅令」を下令し日本国政府と占領軍司令部を「直結」した。同時に「元老制度」を再建するために人選をすすめ吉田茂元外務次官に「白羽の矢」を立てた。当たり前だろ。


檻の中から、大臣まで3ヶ月、華族(男爵)まで半年、総理まで11ヶ月だぞ(-_-;)。


「強烈な引き」無しでこれがありえると思ってるやつは頭が悪すぎる(怒)。先帝様も吉田総理も生涯これを「秘匿」した。宮務法と枢密院が再建されれば「実態的に公表」することもありえただろう、が、親米ナチズム政党「自由民主党」はこれを70年に渡って


サボタージュした(怒)。


この程度の政治学的分析も出来ないのになにが「唯一の保守主義者」だ(黒笑)。笑わせんな(激怒)!おかげさまで、「皇統は断絶(ToT)」、「祖国は亡国(ToT)」の直前じゃねーーーか(激怒)!政界に身を投じた吉田茂はありとあらゆる手を使って「元老制度」を再建しようとした。これがネオ・元老制度たるヨシダ・スクール


保守本流(吉田派)だ。


そっから先は、「明治維新か!」と突っ込みたくなる奇想天外なダッチロールの連続だった(笑)。すごいもんだよ、まさに「弾丸なき抗争」の連続(笑)。まず、復興のための「安定政権の必要性」に引っ掛けられて


一番弟子の池田勇人が「大政翼賛会大幹部」鳩山一郎側に寝返った(怒)。


これが「裏切り吉田派」宏池会だ。この「裏切り」により親米ナチズム政党「自由民主党」は結党された。当然、吉田茂は二番弟子の佐藤栄作と共に「自由民主党」には参加しなかった。だが、主力部隊を「裏切り一番弟子」の池田勇人に持ってかれた吉田茂は奇想天外の「奇策」に出る。今度は


「大政翼賛会大幹部」岸信介率いる十日会に「親米」を条件に提携を申し入れたのだ。


二番弟子の佐藤栄作が岸信介の「実弟」だから出来た「業」だよね(-_-;)。岸政権になると吉田茂は二番弟子の佐藤栄作と共にしぶしぶ「自由民主党」に入党。同時に「裏切り吉田派」宏池会に猛烈な「切り崩し工作」をかける。そして出来たのが「直系吉田派」周山会(佐藤派)ってわけ。


宏池会の「裏切り」、十日会と周山会の愛憎入り混じった「提携関係」を知らなければ自民党史など判るわけがない(怒)!


だから、


「池田イズム(主義)」を「吉田イズム(主義)」と「デマ宣伝」されるんだよ(怒)!


一般に「吉田イズム(主義)」と呼ばれている護憲、対米講和、軽武装、経済成長路線は全部「裏切り一番弟子」池田勇人の「政策」であって吉田茂の「政策」では絶対にない(怒)!あたりまえだろ。おととし(2015年07月19日)NHK特集を批判して書いた記事の一部を再掲しておく

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 この表おかしい事に気付きません?そ、空白だらけで議論がかみ合ってないんです。経済成長政策と対外自立政策は両立可能なので対立にならないの。吉田茂が経済成長のために軽武装を選択したなんて大笑い(^〇^)。そんなデタラメどっから出てくるんだ?1958年にUPI通信の記者との会見での吉田茂の発言は以下のとおり


「日本は共産主義の危険と戦うため原水爆で武装すべきだ。安保条約を改定し在日米軍を減らす、などということは愚かしい限りで、日本が独力で自分を守れない限りあらゆる兵器と兵力を確保することが必要だ」(東京新聞1958年9月21日)


 吉田茂は「核武装論者」なんです。どこが軽武装?どこが経済成長優先?大笑い(^〇^)。左翼はいつでも大嘘つき。うんざり(-_-;)。吉田茂も岸信介も武家出身の戦前エリートの生き残りで対外自立も憲法改正も国防軍設立も経済成長も一致してました。ただ岸はナチズム系の経済官僚、吉田は親英系の外交官と得意とする分野が違っただけ。そして、両方失敗しました。吉田は小さく、岸は大きくね。笑っちゃうのが吉田と岸の間の「ルーピーパパ」鳩山一郎がきれーーにスルーされてるところだよ。保守合同がありました3年後岸信介は総理になりました。おいおい、保守合同成し遂げ初代総裁になった「ルーピーパパ」はどうした?対ソ敗北外交が思い出されるのがそんなにいやか?大笑い(^〇^)。

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トゥールス「吉田イズム(主義)」は「裏切り一番弟子」池田勇人の「政策」より遥かに「大政翼賛会大幹部」岸信介の「政策」のほうに近いのよ(怒)。同時に「大政翼賛会再建部隊」十日会を認めるわけにもいかないの(-_-;)。愛憎入り混じった「提携関係」の意味わかった?池田勇人は2度も「改憲」に必要な2/3以上議席を「改憲派」が確保したのにもかかわらず


2度ともあっさりスルーしやがった(激怒)!


一言言っていいかな、


池田勇人よ。おまえさいてーーーーーーー(-_-;)。


親分裏切り、祖国を裏切り、仲間を裏切って、お前いったい何したかったんだよ(怒)?「改憲」心待ちにして「党割」ってまで「スタンバ」ってた愛国労組と「民社党」の立場がないことないこと。げんなり(ToT)。1964年、周山会と十日会かなりエゲツナイ手法まで使って池田を引き摺り下ろし、「直系吉田派」周山会・佐藤栄作政権を作ったが全ては後の祭りだった(怒)。なぜなら、1967年「戦後の唯一の元老」だった吉田茂元総理の寿命が尽きて亡くなったからだ(ToT)。90歳だった。吉田総理グッジョブ!お疲れ様(ToT)。こっから「後継元老」の地位を賭けて「兄弟バトル勃発!」と書きたいところだがそんなことにはならなかった(怒)。なぜなら、「昭和の妖怪」岸信介が「後継元老」の地位を拒否して「流れに身を任せた」からさ(-_-;)。効果は覿面だった(怒)。それでも佐藤総理は懸命に十日会と周山会の「提携関係」を維持しようとして後継総理に十日会改め清和会の福田赳夫をつけようとするが、吉田茂元総理の「睨み」が消え、岸信介が「無干渉」を決め込んでしまっては


全体を「統括」する者など何処にもいなかった(ToT)。


その間隙を縫って瞬間クーデターで周山会を「乗っ取」ったのが、田中角栄だ。1972年の話。角栄のやったことは実にわかりやすい(黒笑)。自分の「汚職」を権力づくでもみ消すために「奪権」すること「のみ」だった(怒)。こういう時、「手段を選ばない奴」って強いよね(-_-;)。田中は「裏切り」を無かった事にして、同じ旧吉田派として旧知の宏池会・大平正芳と手を組み、中国共産党軍事独裁政権との「修交」を餌に政科研(旧鳩山派)の中曽根康弘と政策研究会(松野派)の三木武夫と提携関係を結んだ。ここに吉田茂元総理が「封じ込め」ていた「大政翼賛会系」政治勢力が一挙に政界の表舞台へとカムバックして行った(怒)。


これじゃ「闇なべ」だよ(-_-;)。糞味噌いっしょもいいところ(怒)!


佐藤前総理は急いで「後継元老」の地位に着こうと足掻くが、やり方が逆で「捻じれ」ていた(ToT)。いくら「提携関係」を維持しようとしても、実質的に兄の岸信介は元老制度を忌避しており、おかげでやればやるほど乗っ取られたとはいえ「自派」を叩きまくりになってで影響力を急速に低下させていった(ToT)。田中政権成立時までの自民党内の派閥構成を簡単に表にしてみた。表は以下の通り。


保守本流(ブルー派)

「直系吉田派」     周山会(佐藤派)→┬…壊滅、なんでやねん(ToT)。
                    │
                    │
保守傍流(パープル派)          │
                    │
「乗っ取り吉田派」           └→木曜会(田中派)

「裏切り吉田派」    宏池会(池田派)→→→宏池会(大平派)

「転向大政翼賛会」   十日会(岸派)→→→→清和会(福田派)


闖入大政翼賛会(レッド派)

「大政翼賛会本隊」   春秋会(鳩山派)→→→政策科学研究所(中曽根派)

「戦争犯罪人組織別働隊」政策研究会(松野派)→政策研究会(三木派)

「大政翼賛会別働隊」  睦政会(大野派)→→→壊滅、ざまあ見ろ(^〇^)!

「戦争犯罪人組織本隊」 水曜会(緒方派)→→→壊滅、ざまあ見ろ(^〇^)!

「戦争犯罪人組織三番隊」火曜会(石橋派)→→→壊滅、ざまあ見ろ(^〇^)!


1975年、佐藤前総理は築地の料亭で倒れ息を引き取った(ToT)。「そして誰もいなくなった」(ToT)。そうとしか言いようがない(-_-;)。「政策別」の「派閥」という名の「小党」が日米同盟堅持を唯一の「党是」として自民党が運営されてきたのはも少し後まで続くが、1987年までに「外部勢力」を「排除」した「独自」の「政治勢力」としての自民党は消滅した(-_-;)。正直、これ以降は書きたくない(怒)。それは俺の愛する「祖国」が政治学的に「腐敗」しきり、「懐体」されていく過程に他ならないからだ(ToT)(ToT)(ToT)。それを1984年に「始まった」って(怒)?中川博士、俺にはあなたが何をいってるのかが全然理解できない(-_-;)。くっされ!


PS、本稿でフレーズにも使った「弾丸なき抗争」は稲川会系組員の前科者でわが故郷の「恥」故浜田幸一元衆議院議員の著作のタイトルだ。恥ずかしながらわが愛読書の一冊だった(-_-;)。浜田せんせーにはいかに「一次資料」というものがいいかげんで、「分析」なしの「生データー第一主義」がどうしよもない「デタラメ」なんだって事をよく教えてもらいました(黒笑)。晴嵐会に「田中派のスパイ」として潜入した挙句、解体後親切ごかして全部「福田派」のせいにする「工作本」なんて書くかふつーー?

PSのPS、それと中川博士が去年の4月に俺が提起した「(仮称)国民防護隊」とまったく同種の組織である「国民防護省」を提起してくれたのは実に有り難い。おいらと彼では影響力が違いすぎるからな(-_-;)。中川博士ありがとうございました<(T^T)。ただ、消防庁主導ははいただけない。消防庁では「国民防護」のような影響の大きい「重要政策」を完遂できわけがない。もちろん消防庁にも頑張って貰うが、警察主導でなければ全体を統括できまい。警察中央が「腐敗」しきってるのは知っている(怒)。でも、それ以外の手はない。なんでこうなる。とほほ(ToT)。


おまけにみくしー検索かけてみました。 はーー(-_-;)、事ここにいたっても一件かよ(ToT)。


「保守本流」

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