さーてーとー、書きたかないけど約束なんで書きますか(-_-;)。現代韓国・政治経済史まとめその1。 繰り返すがアメリカは「韓国切り捨て政策」 に完全に舵切った(怒)。その「付け」は必ずおれら日本国民の頭の上に降って来る。最悪の場合「原水爆」という形でね(ToT)。みんな判ってない!現代韓国はアメリカの「軍事占領軍」によって1948年に「建国」された。その前の1919年に設立された「大韓民国臨時政府」なんて「ヤクザ」と「基地外両班」の「グロテスクな混合物」で何の役にも立たなかった。一国の「承認国」も無く、一ヶ国とさえ「同盟・協力」を「条約」できなかった「臨時政府」なんざ
「存在」しなかったのと「完全」に「同」じ(怒)。
現代韓国の政治経済史を「理解」する最初のポイントはここだ。まず、これを徹底的に頭に叩き込んでおいてくれ!これが判らないからみんな「狂っ」ちまうんだよ。「学問」は「法の支配」に従え。「全ては事実に基づかなくてはならない」とね(怒)。半島に上陸したアメリカ軍は実に「てきとーー」に韓国を建国した。泥縄式に「朝鮮総督府」を解体し、それを乗っ取る形で「軍政」を布いた。続いて「未承認」の「臨時政府」関係者を「親米・反共」を唯一の基準に一本釣りして「朝鮮総督府」の資産を払い下げ、その資金で選挙を実施、制憲議会を組織して「建国」を宣言させた。その間たった3年。絶句。「パリパリ(韓国語で急げ急げ)」で建国されたわけだな(-_-;)。出来上がったのは
「半身不随」の共和国だった。
なにしろ、38度線で分割されてしまい南には「発電所」さえ禄に無いんで、北朝鮮からの送電が切られるとソウルでさえ真っ暗闇になった。今では信じられないけど「朝鮮総督府」時代は工業設備のほぼ全てが「北」に設置されていたので、平均所得は北のほうが倍近く「上」だった。その上、政府を構成したのが「ヤクザ」と「基地外両班」だ。これが「朝鮮総督府」の払い下げ資産の管理をめぐって贈収賄を繰り返しながら、激しく抗争し「殺し」合った。考えるだけで「目の前暗く」なる「陰惨」な「退廃と混沌」の時代だった。だがそれでさえ「幸せ」の範疇に入る事態が1950年に起こる。
ソ連の軍事援助で武装した10万の北朝鮮軍が韓国に全面侵攻した
のだ。払い下げ資産を巡る抗争に没頭していた初代大統領・李承晩は日ごろ「北進統一!」を呼号していたのに直前に宣言した「ソウル死守」の約束さえ守らず国民見捨てて真っ先に釜山へと「逃げ」出した。ソウルは3回占領と奪還を繰り返し文字道理「火の海」になった。途中、反対派粛正の好機とはかりに20万人あまりを大量虐殺してるよ。今の北朝鮮とどこが違うんだ?米軍がほぼ独力で38度線を確保し、戦争は3年ほどで現在も続く「停戦」となった。主要インフラが壊滅し、国民がインド・フィリピン以下(当時の韓国の一人当たりのGDPはインド人の半分)のどん底生活に喘いでいる中、どこかの野党の女党首とそっくりな「大嘘」と「大言壮語」を繰り返すこの大馬鹿大統領は何の「責任も取らず」にそのまま居座り、今度は灰になった「払い下げ資産」のかわりに「アメリカの援助金」をめぐって贈収賄を繰り返しながら、再び激しく抗争し「殺し」合った。吉田茂が日本人の嫌いなものは「河野(一郎)、スカルノ、李承晩」と叫んでたころの話だ。激しく同意(怒)。流石に「韓国クオリティ」でもこれはひど過ぎた(苦笑)。1960年アメリカと組んだ軍部がぶち切れて「忠誠宣誓」を拒否。恐怖を感じた李承晩はソウルを逃げ出したのと同じようにさっさとアメリカへと「逃げ」出した。ふーーーー(-_-;)、言葉が出無いわ。言っとくけど日本人も人事じゃないぜ!蓮舫が権力を握れば「間違い無く」、日本に
「李承晩」式統治を持ち込むだろうよ。目に見えるようだよ!
「大言壮語」と「腐敗」と「大嘘」と「無責任」と「殺し合い」をコンクリートミキサーで混ぜ合わせてぶちまけたような「李承晩」式統治をね(黒笑)。話がずれた元に戻そう。建国から現在までの韓国政治は大きく分けて3つ、細かく分けると7つに分けられる。分類は以下のとおり
李承晩時代(1948年〜1961年)
第一共和国 1948年に初代大統領に李承晩が就任。1960年4月19日四月革命で李承晩はハワイへ逃亡。
第二共和国 1960年に尹潽善が大統領に前副大統領張勉を首相にして議員内閣制を導入。
1961年5月16日朴正煕が決起、国家再建最高会議 が権力を掌握。
朴正煕時代(1961年〜1993年)
国家再建最高会議(軍政)期 第三共和国憲法を起草・公布。
第三共和国 1963年に朴正煕が第5代大統領に当選。
第四共和国 1972年10月17日非常戒厳令を布告して「維新体制」発足。
1979年10月26日朴正煕が側近の中央情報部長により暗殺される。
第五共和国 1979年12月12日粛軍クーデターにより「クラス11」権力を掌握。
1987年6月29日「クラス11」の副官・盧泰愚が民主化を宣言。
金泳三時代(1993年〜現在)
第六共和国 1993年2月25日軍部と合同した金泳三が大統領に当選。
細かく言うと一般の分類とは違うが、本稿においてはこのまま説明する。1960年4月19日李承晩はハワイへ逃亡したが国民は「どん底生活」に置き去りにされた。このころの韓国には「春窮」という言葉があった。農作物の収穫の端境期にになると貧乏人の子供たちが見る見る間に「ガリガリ」に痩せて行く事で、当時の韓国の風物詩の一つだった。大統領の尹潽善も、首相の張勉も元々李承晩の腰巾着だった奴で、まさに「無能」を絵に描いたような男だった。そして、韓国は失敗した「建国」をやり直し「第二の建国」を迎えることとなる。1961年5月16日朴正煕が決起し国家再建最高会議 が権力を掌握したのだ。ここで大事なことを書くね。朴正煕はある強烈な「ビジョン」と「モデル」をもって韓国を「再建国」するために「決起」した。それは
韓半島南部に「満州国」を再建する
という理念だった。みんなおいらが冗談言ってるんだと思うでしょ?残念でしたおいらは大マジな話をしているの。よく考えてごらん。決起した朴正煕韓国軍少将は元々、高木正雄満州帝国軍中尉だったんだよ?腹心の丁一権韓国軍大将は中島一権満州帝国軍憲兵大尉、先輩の白善��韓国軍大将は白川義則満州帝国軍中尉、そして日本側のカウンターパートとなった岸信介総理は満州帝国政府総務次長(実質的な総務大臣)だ。まだ必要かい?いくらでも出てくるぞ?なぜ朴正煕ら韓国軍部は韓半島の歴史では極めて稀な計画的「クーデーター」を成功させ、軍事政権を維持できたのか?そしてなぜ国民所得を「倍」ではなく「20倍」に上げる「漢江の奇跡」と呼ばれた経済建設に成功したのか?それは彼らが
すでに満州で「経験」していた
からなのさ(-_-;)。このへんがフショムス「高木さん宅のクネ子さん」には判んない所なんだよね(ToT)。頭悪すぎ(怒)。軍部が人事交流を通して政府を「内面指導」するやり方は、満州帝国政府を関東軍が「間接統治」したやり方の引き映しだし、政府主導の外資導入による重工業の設立(斜頚生産方式という)と輸出主導による回収は「満鉄」による南満州の「経営」をモデルにしているのは明らかだ。そして、その経済学的な「副作用」も完全に同一だ。朴大統領たち「知って」いたのさ。そのやり方をすれば「一寒村」を13年で100万都市(例、新京=長春)にすることさえできるのをね。そして、それがもたらした問題点については又次回語ろう。とほほ。
おまけにみくしー検索かけてみました。結構出てきてワロタ。半分は極左の宣伝屋のだけど。とほほ。
「李承晩」
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