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2016年09月04日20:53

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陸上競技・・・

 ここのところ、オリンピックなどがあったので、
 陸上競技について、何度か書きました。
 僕は陸上競技が好きなので、その関わりを書いて置こうと思いました。

 今回のオリンピックも含めて、陸上競技をよく見ています。
 世界陸上も、織田さんが五月蠅いと思いながら欠かさず見ています。
 同居人からは、
 こんなただ単に走ったり投げたりするだけの競技のどこが面白いのかと
 よく言われていましたが、面白いものは面白いと言い続けて来ました。

 僕は1964年の東京オリンピックの陸上競技初日を国立競技場で実際に見ました。
 小学校の6年の時です。
 小雨の降る寒い日でしたが、男子100mの予選ややり投げの予選があった日です。
 男子10000mは予選なしの決勝でした。
 後に男子マラソンで3位になった円谷幸吉が6位になりました。
 1位がアメリカのミルズ、2位がチュニジアのガムーディ、
 3位がオーストラリアのクラークでした。
 夕方になっていましたので、カクテル光線の中、
 ミルズのラストスパートの鮮やかさは今も覚えています。
 このレース、セイロンのカルナナンダ選手が、先頭から3周後れでしたが完走しました。
 ほぼ3周近く独走だった訳です。
 見ていて、初めは何が起こったのか分かりませんでしたが、
 周囲の熱狂的な応援で事態が分かりました。
 この話は、1970年代の小学4年生の国語の教科書(光村図書出版)に
 『ゼッケン67』という題名で載りましたので、ご存知の方もいるかも知れません。

 その頃から僕は急に走るのが速くなりました。
 それまでは太っていたので、走るのは苦手だったのですが。
 速くなったのは、オリンピックの前後だったように覚えています。
 そのため、中学に入ったら迷うことなく陸上部に入りました。
 入部して間もなく、1年生の400mリレーで宇都宮市内の予選を勝ち上がり
 県大会に出場して1位になりました。
 僕は2走でしたが、1走のK君が走って来るスパイクの音を今も覚えています。
 2年以降は、リレー種目が800mになったので、中々勝てませんでした。

 人数の少ない陸上部だったので、僕は短距離と走り幅跳びをやりました。
 ハードルもやったのですが、身体が硬くて向かないのがすぐに分かりました。
 中学2年の頃は100mで12秒前半、200mは23秒後半だったと思います。
 宇都宮市内で3位には入っていました。
 中学3年の時に100mで宇都宮市内で2位になり、県大会に出ました。
 この時の記録は12秒0でした。
 県大会では、予選で当時県内で1番速かったA君と同じ組になってしまい、
 3位で決勝進出を逃しました。
 A君は黒人の父親を持つハーフで、瞬発力が全然違いました。

 高校に入ってからも中学の先輩が陸上部に入っていたので、
 引っ張られる形で陸上部に入りました。
 本当はラグビーをやりたい気もしていたのですが、
 家で反対されたし、
 陸上部とラグビー部の部室が隣だったので気まずくなるのも嫌かなとも思いました。
 しかし陸上競技が好きだった事も間違いありません。
 当時は高校にも学生運動が及んでいた時期で、
 色々な事があって、結局は2年の夏休み前に退部しました。
 1年生大会の100mで出した11秒8が生涯最高の公式記録です。

 今も時々、昔足が速かったんだって?などと
 その頃の事を訊かれる事があります。
 色々話した後、今は見る影もありませんがと付け加える事にしています。


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