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2016年06月15日16:41

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テレビを見れば。。。。part0080


 さてと、緊急連載「北方領土史」の第8弾。前回、ロシアの軍事的恫喝にビビッた「バカ殿」たちが政権を投げ出し、職務に復帰した松平伊豆守信明老中が「お庭番」達をすぐ北へ差し向け実態把握すると同時に防備を固めタッチの差でこれを撃退したが足を引っ張る「バカ殿」達のおかげでゴローニン事件が起こってしまい外交的敗北を喫して事件処理の激務の中で亡くなってしまったってとこまでやった。今回はその続き。

 1817年8月松平伊豆守信明老中は亡くなった。後任には水野忠成老中が「首座」に昇格した。この水野忠成こそ江戸幕府を「滅ぼした元凶」だ。ふーー(-_-;)。これを語る前に少し「幕府」というものの「2重構造」について解説しておきたい。これが判らないとバカな上に平然と「売国行為」で「仲間を売る」松平定信のような「バカ殿」連中がなぜ権力を握れるのかみんな理解できないだろうからね。ふーー(-_-;)。これ本来は「法制通史概論」で語るべきテーマなんだけどなーー。はっきり書くね。


幕府は「家政組織」か?それとも「政府組織」なのか?


という問題だ。おいらの判定は「家政組織」であり同時に「政府組織」でもあるというものだ。そう解釈するしかない(-_-;)。特に江戸幕府はこの問題が顕著に出た「幕府」だった。別名「庄屋仕立て」とよばれる「純日本式」の組織のまんま日本国の政府機能を「代行」した。「戦国大名」徳川家の「家政組織」そのまんまにね。何故そうなったのか?いずれ詳しくやるが簡単にチャートすると


1、律令制のデタラメで政府組織が全く機能しなくなる。
         ↓
2、やむなく平家が「実力」で朝廷組織を乗っ取る。
         ↓
3、それに反発した上皇が源氏に対抗させようとする。
         ↓
4、源氏が決起。関東の「平家」を味方に付け、平家本家を打倒する。
         ↓
5、(鎌倉幕府)源頼朝が征夷大将軍として武士の「護法組織」を設立する。
         ↓
6、(鎌倉幕府)番頭である「関東平家」の北条氏が源氏本家を族滅し幕府を乗っ取る。
         ↓
7、幕府に反発した天皇が決起する。
         ↓
8、討伐に向かった、源氏の一族足利尊氏が朝廷側に寝返る。
         ↓
9、鎌倉幕府が空中分解して建武中興始まる。
         ↓
10、再び、律令制のデタラメで政府組織が全く機能しなくなる。
         ↓
11、朝廷が分裂し、北朝が足利氏に幕府再興を命ずる。
         ↓
12、(室町幕府)足利尊氏が征夷大将軍として京都に幕府を再興する。
         ↓
13、(室町幕府)幕府は一族を藩屏として「守護大名」の名で各地に配置する。
         ↓
14、(室町幕府)三代将軍義満が皇室を乗っ取ろうとするが暗殺される。
         ↓
15、(室町幕府)義満の振る舞いに反発した「守護大名」が次々と離反する。
         ↓
16、(室町幕府)幕府が機能不全となり実質的に空中分解する。
         ↓
17、「守護大名」が各地で次々と部下に乗っ取られ「戦国大名」が出現する。
         ↓
18、「戦国大名」同士が各地で激しく争い戦国時代へ突入する。
         ↓
19、「戦国大名」徳川家が他の全ての「戦国大名」を武力制圧する。
         ↓
20、(江戸幕府)朝廷が「戦国大名」徳川家の当主家康を征夷大将軍に任じる。
         ↓
21、(江戸幕府)「戦国大名」徳川家がそのまんま幕府として日本国の政府機能を「代行」する。


となる。日本の国政はいままでに6回「機能不全」をおこしている。飛鳥中期、平安末期、建武中興、室町中期、江戸末期、そして現在だ。そして3つの「幕府」は実は機能としてはそれぞれ全くの「別物」なのだ。


(鎌倉幕府)は本質的に「裁判所」であり、幕府は番頭に乗っ取られ、離反した源氏一族の分家に打倒された。

(室町幕府)は本質的に「対抗組織」であり、幕府は守護大名に離反され、空中分解した。

(江戸幕府)は本質的に「戦国大名」であり、幕府は機能不全に陥り、外様大名の家来に乗っ取られた。


のだ。「幕府」という名前と、そう呼ばれた「組織」とは何の関係も無いのだ。あえて共通点を探せば貴族(公家)でない人間が主導し、首長が「征夷大将軍」に任官している「全国組織」ってことだけだね。そしてそれぞれ別の機能と弱点をもっていた。江戸幕府の創設者・徳川家康はこれをよく知っており可能な限り「対策」をねり、果敢に「実行」した。「狸親父」苦労人だけあって非常な勉強家だったんだね(苦笑)。主要な「対策」は以下のとおり


1、番頭に乗っ取られないように譜代の家来には大きな領土を持たせない。また、執政官(老中)は常に複数おく。

2、大名に離反されないよう、妻子を人質を取り幕政への介入を厳禁する。

3、外様大名には軍役の代わりに「課役」を行い軍資金を蓄積させない。

4、海外交易を徳川家の独占事業とし、チャイナ大陸やヨーロッパ諸国との外交関係を独裁する。

5、朝廷は神社・仏閣の管理者として「特殊な小大名」として取り扱う。


だ。幕末にはこの全ての対策が「破錠」した。ま、話が先に行き過ぎた。少し戻ろう。江戸幕府の本質が「戦国大名」徳川家であることがわかって貰えただろうか?そしてそれが「公儀(政府)」としても機能していたその「二重性」を。江戸時代末期この二つが「乖離」し、それによって出来た二つの派閥が「深刻な対立」をおこしていたんだってことをさ。


1、実務派  「公儀(政府)」として幕府を重視。譜代の中堅大名から下が主力。有能で機構改革を指向するが実現は事実上不可能。

2、バカ殿派 「戦国大名」徳川家を重視。親藩・譜代の中堅大名から上が主力。狂信的な守旧派。甘やかされた殿様たちで頭がすごく悪い上凶暴(ToT)。


ふーー(-_-;)。誰が見てもこれ「詰んでる」と思わないか?バカ殿派がやればもちろん「破滅」へ向かって一直線だし(-_-;)、実務派が担当すれば「東照神君家康公」の「遺訓」と正面衝突だ(ToT)。江戸時代の江戸城でそれをやったら誰であれ確実に「首が落ちる」ぞ!唯一のチャンスは家康を超える能力を持った将軍が出現し、それが実務派を抜擢しリードすることだったが、そんな「奇跡」は起こらず実際に現れたのは


子作り専門家の「オットセイ将軍」だった(泣笑)。


はーーーー。報われねーーなーー実務派(-_-;)。さてと、そろそろ話を元に戻そう。信明老中の後任の「老中首座」は水野忠成老中と決まった。実はこの人、元祖実務派田沼老中の系列の人で、信明老中に抜擢を受けた実務派だったはずなんだけど・・・1821年にバカ殿派に寝返りやがった(怒)。おかげで1822年には北方警備体制が解除されてしまう。幸いロシアがナポレオン戦争に巻き込まれて日本どころじゃなくなってたんで助かったけど何てことすんのよ(怒)。この人やらかしたの之だけじゃないんだよね。ま、ちと長くなったからその話はまた次回語ろう。とほほ。




おまけにみくしー検索かけてみました。



「江戸幕府」

日記 検索 (20件)ひっと。

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