さてと、話を続けますか。前回、「大成功で大失敗だった第二次対チャイナ外交」まで行った。いよいよ、終わったはずの「戦争の悲劇」が再開されてしまったという話しに行きます。今から、1700年前、日本は第12代景行天皇のもとで平和裏に統治されていたが、大迷惑なことにチャイナ大陸で大内戦がオッパじまったのだ。これを「八王の乱」という。仔細は省く書くのも馬鹿馬鹿しいとしか言いようのない皇位継承をめぐる低劣な権力闘争による内戦だ。一度調べてごらん。意味不明で何がどうなっているのか良くわかんない「馬鹿騒ぎ」なのが良く判るから(-_-;)。だが、これがもたらしたものは日本を含む周辺諸国全てを戦火に叩き込む最低・最悪の大動乱だった。
民族大移動が始まった
のだ。ちょっと話が戻るが、今から2200年前、チャイナ大陸に「大漢帝国」が成立したのと同時にモンゴル高原に「大匈奴(フン)帝国」が成立した。そして、両帝国は成立と同時に激突した。そして、戦闘民族・匈奴(フン)族は緒戦で大漢帝国初代皇帝を生け捕りにする大勝利を収めたのだ。以後、「漢帝国」は実質的に「大匈奴(フン)帝国」の属国になった。そして、その80年後、国家体制を整えた「漢帝国」は反撃に出た。名将、衛青・霍去病(おそらく二人ともフン族)を奴隷身分から抜擢し騎兵部隊を編成させて全面戦争へと打って出た。この「漢・匈奴戦争」は休戦をはさみながら実に300年間も続いた。300年間も続いたのだ。絶句。チャイナもフン族もドンだけ「戦争好き」なんだよ(-_-;)。日本人に生まれて本当に良かったよ(-_-;)。ここで少し、「大匈奴(フン)帝国」をはじめとする騎馬帝国を作った遊牧民たちについて軽くコメントしておきたい。3つ覚えておいて欲しい。よく、誤解される点だからね。
� ⇒桂厂韻麓輓帖�採集民の末裔ではなく(有畜)農民の末裔であること。
�◆⇒桂�(フラフラ動く)しておらず、決まった牧地(天然牧場)と冬営地(牧場)を往復するプロの飼畜業者であること。
��、生活全体を商業経済に依存しながら自らは商業そのものを行わないこと。
だ。これは今でもそう。かれら平和な飼畜業者達は2800年前、騎乗法を開発し短弓戦術と組み合わせることによって戦闘民族へと劇的に変化していった。その軍事的優位はそれから実に2600年間続いた。ま、くわしくは執筆中のロシア・東欧史概論の第二段で書くとして話を元に戻そう。2120年前再開された「漢・匈奴戦争」は主として内モンゴル地区の争奪戦となった。なぜなら、そこにはフン帝国本隊の冬営地(牧場)が置かれていたからだ。遊牧民にとって冬営地(牧場)こそ御家で本拠であり、家財・備蓄はそこにあるのだ。当然、凄まじい激戦になった。・・・・記載の途中だが、当ブログの読者は聞いて欲しい。まこと無念で中途半端だがここで本稿「日本法制通史概論」の「公表を中断」する。また、同時に「弁偽学入門書」、「電脳学入門書」、「ロシア・東欧史概論」といった当ブログの特集記事も「軍事史的現状分析」を唯一の例外として「公表を中断」する。はーーー、今日も朝から一人ぶっとうしで書いていた。だが、どう考えても間に合わない。書けないのではない。現に今日も書いてた。4つともアウトラインはほぼ完成している。あとは資料とのすり合わせをしてから頭から出すだけ。でも、それでは迫り来る「我が国の危機」に対しては「間に合わない」のだ。絶対的に間に合わない(怒)!どう考えても「組織」が必要だ。そのためにはどうしても「金」が必要なのだ。・・・・・個人でチマチマやってたのでは間に合わない。金を稼ぎ、人を集めなくてはならない。これから、俺はそれに集中してみようと思う。オタッキーのおいらには虫唾が走るほど「いやなこと」だか他に方法はない。今年10月と来年4月に試験を受ける。それがすんだら可能な限り早く「組織」を立ち上げてみるつもりだ。内容の大枠は決まっているがその公表もさし控えさせてもらう。暇を見て「各論の研究」は続けて見るつもりだが、試験その他の準備を一義的に優先させるので、いつ公表を再開できるのか一切未定だ。また、極限まで自分を精神的・肉体的に追い詰めてみるつもりなので、以後の記述は酷く不機嫌で殺伐としたものになると思うが許して欲しい。天運が我とわが祖国の頭上にあらんことを願って、建国2676年正月13日。t-c。
おまけにみくしー検索かけてみました。
「遊牧民」
日記 検索 (7件)ひっと。
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