平安京を走った古代の道――四条坊門小路跡と発掘された京都の歴史
現在の京都を歩いていると、何気なく通り過ぎてしまう道路にも、1000年以上前から続く歴史が刻まれていることがあります。
その一つが、現在の蛸薬師通にほぼ重なる「四条坊門小路」です。
平安京が造営された時代、この道は京都の街を東西に走る重要な道路の一つでした。そして、現在では地上からその姿を見ることはできませんが、発掘調査によって当時の道路や側溝、建物、井戸などの遺構が確認されています。
街角に残る一つの石標から、平安京の人々が歩いた古代の道をたどってみましょう。
四条坊門小路とは
四条坊門小路は、平安京を東西に走っていた道路です。
位置としては、三条大路と四条大路の中間にあたり、その南側には錦小路、北側には六角小路が並行して通っていました。
現在の京都の道路にも、三条通、四条通、錦小路通、六角通など、平安京以来の道路配置を受け継ぐものがあります。
その中で四条坊門小路は、現在の蛸薬師通にほぼ該当するとされています。
つまり、現在の蛸薬師通を歩くことは、1000年以上前の平安京を走っていた道路の上を歩くことにもつながるのです。
約12メートルあった道幅
平安京の道路は、現代の京都の道路よりも広いものが多く、都市計画に基づいて整然と配置されていました。
四条坊門小路も、4丈、約12メートルの道幅を持っていたとされています。
現在の蛸薬師通からは、かつて約12メートルもの幅を持つ道路がここを通っていた姿を想像するのは難しいかもしれません。
しかし、平安京が計画都市として造られ、道路を基準に町が形成されていたことを考えると、当時の京都が現在とは異なるスケールで設計されていたことがわかります。
地下から姿を現した平安京の道路
四条坊門小路の歴史を知るうえで重要なのが、発掘調査です。
昭和49(1974)年、市電壬生車庫跡地の発掘調査が行われました。
その際、平安時代から鎌倉時代にかけての四条坊門小路の南北両側溝が検出されました。
さらに、平安時代前期と中期の井戸や、中期から後期にかけての建物群の遺構も見つかりました。
これは、平安京の道路が単なる想像上の存在ではなく、地下にその具体的な痕跡を残していることを示す貴重な発見です。
道路の両側にあった側溝
古代の道路を考えるうえで、側溝は重要な手がかりになります。
道路の両側に側溝が設けられていたことが確認されれば、そこがかつて道路として利用されていたことを具体的に裏付けることができます。
四条坊門小路についても、南北両側溝が発見されたことで、平安京の道路構造を知る手がかりとなりました。
さらに、その後に行われた試掘調査でも、平安時代前期から鎌倉時代にかけての四条坊門小路南側溝と、その路面が検出されています。
長い年月の中で京都の町が何度も姿を変えてきたにもかかわらず、地下には古代の道路の痕跡が残されていたのです。
道路の周囲にあった人々の暮らし
発掘されたのは道路だけではありません。
平安時代前期・中期の井戸や、平安時代中期から後期にかけての建物群の遺構も検出されています。
つまり、四条坊門小路の周辺では、道路を行き交う人々だけでなく、そこに住み、仕事をし、生活する人々の営みがあったことがわかります。
現在の京都でも、道路を中心に店舗や住宅が並び、人々の暮らしが営まれています。
1000年以上前の平安京でも、それと同じように道路を軸として町が形成されていたと考えると、古代の京都が少し身近に感じられます。
石標が伝える「見えない道路」
現在、私たちが目にする蛸薬師通には、平安時代の道路そのものがそのまま残っているわけではありません。
しかし、その地下には側溝や路面、建物、井戸など、平安京の人々が残した痕跡が眠っています。
そして、その歴史を地上で伝えているのが、四条坊門小路跡を示す石標です。
石標は小さくても、その背後には1000年以上にわたる京都の都市の歴史があります。
現代の蛸薬師通から平安京を想像する
京都の歴史散策の面白さは、現在の街並みと過去の姿を重ね合わせられることにあります。
蛸薬師通を歩きながら、「ここを平安時代の人々も歩いていたのだろうか」「道路の両側にはどのような建物が並んでいたのだろうか」と想像してみる。
そうすると、普段見慣れた京都の通りが、平安京という巨大な都市の一部として見えてきます。
四条坊門小路は、平安時代から鎌倉時代にかけて実際に利用されていた道路です。その証拠となる側溝や路面が発掘によって確認されたことで、その存在は確かな歴史として私たちに伝えられています。
地下に眠る平安京の記憶
現在の京都は、長い年月の中で何度も姿を変えてきました。
建物が建て替えられ、道路の姿も変わり、人々の暮らしも大きく変化しています。
それでも、地下にはかつての京都の姿を伝える遺構が残されています。
四条坊門小路の側溝や路面、井戸、建物跡は、平安京に暮らした人々の生活を今に伝える貴重な歴史資料です。
四条坊門小路跡の石標は、そんな「見えない平安京」への入口ともいえるでしょう。
現在の蛸薬師通を歩くときには、足元のさらに下に、約1000年前の道路と人々の暮らしが眠っていることを思い浮かべてみたいものです。
一つの石標から、現代の京都と平安京が一本の道でつながっていることを感じることができます。
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