千糸繍院 謹製 秩父三十四観音霊場 午歳特別結縁巡礼「記念納経帳」は大判サイズ、3900円
第1番札所、誦経山四萬部寺
第2番札所、大棚山真福寺
第3番札所、岩本山常泉寺
第4番札所、高谷山金昌寺
第5番札所、小川山語歌堂
第6番札所、向陽山卜雲寺
第7番札所、青苔山法長寺
第8番札所、清泰山西善寺
第9番札所、明星山明智寺
第10番札所、萬松山大慈寺
第11番札所、南石山常楽寺
第12番札所、仏道山野坂寺
第13番札所、旗下山慈眼寺
第14番札所、長岳山今宮坊
第15番札所、母巣山少林寺
第16番札所、無量山西光寺
第17番札所、実正山定林寺
第18番札所、白道山神門寺
第19番札所、飛渕山龍石寺
第20番札所、法王山岩之上堂
第21番札所、要光山観音寺
第22番札所、華台山童子堂
第23番札所、松風山音楽寺
第24番札所、光智山法泉寺
第25番札所、岩谷山久昌寺
第26番札所、萬松山圓融寺
第27番札所、龍河山大渕寺
第28番札所、石龍山橋立堂
第29番札所、笹戸山長泉院
第30番札所、瑞龍山法雲寺
第31番札所、鷲窟山観音院
第32番札所、般若山法性寺
第33番札所、延命山菊水寺
第34番札所、日沢山水潜寺
秩父札所 総開帳特設ページ
https://chichibufudasho.com/soukaicho/
ーーー引用開始ーーー
【午歳総開帳とは?】
「午歳総開帳(うまどしそうかいちょう)」は、埼玉県の秩父地域にある34寺院(秩父札所)の御開帳。
12年に一度の午歳(うまどし)に、一斉に御開帳を行うので「総開帳」と言われています。
秩父札所の34寺院で、どなたでも観音さまのお姿に直接お参りすることができます。
この総開帳は、江戸時代から続く伝統行事でもあり、一斉に普段は見ることのできない観音様が見れることから、秩父地域がパワースポットになるとも言われています。
期間:令和8年3月18日(水)〜11月30日(月)
【札所とは?】
秩父札所は、埼玉県の秩父地域にある34寺院のことです。
鎌倉時代から始まり、790年の歴史をもつ観音霊場(観音様をおまつりするお寺を巡る巡礼地)です。
【総開帳でしか体験できない4つの特別体験】
・記念御朱印
総開帳の期間中だけ授与される特別な御朱印です。
札所巡りの証としてはもちろん、この時期ならではの記念として多くの方が受けに来られます。
・秘仏公開
・特別散華配布
・御手綱
ーーー引用終了ーーー
�茵|疉禹ソ蟷綾住祐儔士郛貘�1番札所、誦経山四萬部寺の山門
�蕁ヾ儔仔�
秩父に入ると先に5番札所とかが現れて、その奥まった所に1番札所がある。道路脇に20台程が停められそうな未舗装の駐車場があり、そこに21時に到着して車中泊。雨は朝方までかなり降って、後は小康状態(小雨)らしい。さて、それでは…。
秩父札所三十四観音霊場、第1番札所、四萬部寺。観音堂の厨子の中に御前立の様に小さな観音様が御開帳。他に戦後に造られた銅造のみがわり観音あり。流石に1番札所だけあって、小さな納経所には色んなグッズが一杯ある。
�茵|疉禹ソ蠡�2番札所、大棚山真福寺の観音堂
�蕁/進〇�は無住の寺なので、御朱印は近くの光明寺が代行
第2番札所、真福寺。離合できないほど狭い林道を通って行く。道脇は小さな小川状態。ほんと秩父が山の中という事が分かる。しかし5分と掛からない所が面白い。この時間に1番札所から回っている方は、私の他につくばナンバーの若いカップルが1組と、徒歩で回っている中年男性が1人。歩きでは7日間は掛かるという。真福寺は観音堂がポツンとある限りで、中は沢山の千社札に、今回の札所巡りでも多く見掛けるがさるぼぼ。本尊は金ピカの小さな観音様が御開帳。真新しく見えるが室町時代の作との事。
「長享年間(1487年〜1489年)の水害で秩父33ヶ所から外されたが、信者からの復活要望で室町時代後期に34ヶ所目の札所となった。また、これにより、西国33ヶ所、坂東33ヶ所に秩父34ヶ所を合わせて日本百観音となっている(Wikipedia)」
マジでこんな所を走らせるかって道。納経所はかなり離れた札所でない光明寺にて代行。曹洞宗のお寺で、寺務所(庫裏)ではピラニアやアロワナを飼育している(メダカも)。ここの御朱印は頂かなかったけど、住職はどう思われているのか…。
�茵|疉禹ソ蠡�3番札所、岩本山常泉寺の観音堂と本堂
�蕁ヾ儔仔�
第3番札所、常泉寺。丘の麓に大岩があって、その手前に観音堂と本堂が建てられている。観音堂では本尊の聖観音が御開帳。大きさは小学生の背丈くらいで品がある。ここにもさるぼぼ。次の札所まで900m。
何か曇り勝ちだけど晴れて来た。
「観音堂は、1870年(明治3年)に秩父神社境内にあった蔵福寺の薬師堂を移築したものであり、宝形屋根、三間四面の構造である(Wikipedia)」
�茵|疉禹ソ蠡�4番札所、高谷山金昌寺の仁王門
�蕁ヾ儔仔欧伴蠢阿忙勸蕕憧儔餐�。境内の至る所に石仏群
第4番札所、金昌寺。仁王門の上にもお堂にも祠にも境内にも、至る所に石仏群。御開帳された本尊は十一面観音で、どうやら秩父では全ての本尊が御開帳されているらしい。しかし注目の的は観音堂の軒下に置かれた石像の子育て観音像。そしてやっぱりさるぼぼ。境内に手打ちうどんの店は珍しい。因みに秩父札所の34箇所にアルフィーとのコラボ御朱印あり。要らんって。
�茵|疉禹ソ蠡�5番札所、小川山語歌堂の仁王門
�蕁ヾ儔仔�
御朱印は近くの長興寺で代行。これは観音堂と別当寺という札所本来の形式にて
第5番札所、語歌堂。平地に仁王門と観音堂がポツンと。御開帳された本尊は准胝観音。ここも納経所は近くの長興寺が代行。
今日はやっぱり小雨が降ったり止んだりの天気らしい。
「日本百観音霊場の中で、准胝観音が本尊として祀られているのはここ秩父札所五番の語歌堂と西国三十三所十一番上醍醐寺の2ヶ所だけで希少である(Wikipedia)」
�茵|疉禹ソ蠡�6番札所、向陽山卜雲寺の観音堂
�蕁\亞ゴ篋侶,�進む、日本二百名山である秩父の霊峰、武甲山
第6番札所、卜雲寺。急坂の上に観音堂がポツンとあり、それに小さな薬師堂と稲荷神社。それでも納経所には2人の僧侶がおられて、奈良から来たと伝えると話が弾む。向かいには霊山である、生駒山より2倍も高い武甲山。6合目より上が採掘されて段々になっているのが痛々しいが、秩父の方にとっては信仰の山らしい。御開帳された本尊はちっちゃくて、遠く離れていて厨子の中で御簾を左右に振り分けているので、良く見えない。
�茵|疉禹ソ蠡�7番札所、青苔山法長寺の山門
�蕁)榮押�この本堂の中に観音堂がある
第7番札所、法長寺。ここも山門と本堂と寺務所が建つ位のこぢんまりとしたお寺。裏手にはお墓が沢山。御開帳された本尊は御前立と同等に小さくて、遠く離れて厨子の中にあるので良く見えない。結局は側に貼られているポスター(写真)で確認するという…。
�茵|疉禹ソ蠡�8番札所、清泰山西善寺の本堂
�蕁〆覿霧�指定天然記念物である西善寺のコミネカエデ
第8番札所、西善寺。こぢんまりとしながらも庭園も備えた整然とした境内。苔生したコミネカエデがとても美しい。御開帳された観音様はやはり小振りで余り印象に残らない。
�茵|疉禹ソ蠡�9番札所、明星山明智寺の納経所と観音堂
�蕁|疉禹ソ蠍畉仭躋�帳で頂ける、各札所の記念散華
第9番札所、明智寺。六角堂の観音堂は珍しい。御開帳された本尊は如意輪観音で、まだ近いのでしっかりと確認できるが、やはり小さい。拝観者の夫婦が納経所で「アルフィー歌朱印で」って、一体…。
基本、秩父札所は12時から12時半までは休憩時間らしい。
「当寺の本尊は如意輪観音である。行基の作とも恵心僧都源信の作ともいわれている。秩父34ヶ所で如意輪観音を本尊とするのは当寺と第30番の法雲寺だけである」
Wikipediaより。
�茵|疉禹ソ蠡�10番札所、萬松山大慈寺の仁王門
�蕁)榮�
第10番札所、大慈寺。やはり小高い山(丘)の麓にあり、仁王門と本堂と納経所の他には裏手にお墓がある様なお寺。「心が叫びたがってるんだ。」とのコラボ絵馬や、その作者関係の色紙とか。例によって御開帳されている本尊の観音様は小振りではある。
�茵|疉禹ソ蠡�11番札所、南石山常楽寺の観音堂
�蕁’七仆�
第11番札所、常楽寺。明治11年の秩父大火で伽藍は全て焼失したらしい。よって丘の麓に観音堂と納経所と宿泊施設?とお墓があるだけで、内陣に上がれるものの小振りで真新しい金ピカの観音様が御開帳。でも納経所には色んなグッズが並んでいて今風ではある。
「秩父大火(ちちぶたいか)は、1878年(明治11年)3月22日に、現在の埼玉県秩父市(旧・大宮郷)で発生した大規模火災である。中町より出火し、市街地の中心部を広範囲にわたり焼失させ、寺社、家屋を含む多くの建物に被害をもたらした(Wikipedia)」
�茵|疉禹ソ蠡�12番札所、仏道山野坂寺の山門
�蕁)榮�
第12番札所、野坂寺。山門には閻魔大王を含む十王像が安置され、本堂では漸く等身大の観音様が御開帳。弁財天とか身代わり観音とかの小さなお堂が幾つかあり。
�茵|疉禹ソ蠡�13番札所、旗下山慈眼寺の観音堂
�蕁〔�師堂
第13番札所、慈眼寺。西武秩父駅から徒歩約5分の町中にあり、こども園が併設されている。ここも明治11年の秩父大火で伽藍を焼失、しかし観音堂は立派な物で輪蔵もある。
「その後、明治33年(1900年)までの22年をかけて現在の御堂ができあがった」
Wikipediaより。
�茵|涼良弭颪琉豕棔�秩父神社の鳥居
�蕁/戚�
�茵’凖�
�蕁)榲�
知知夫国の一宮、秩父神社を参拝。極彩色の彫刻で彩られた拝殿と本殿は美しい。少なくとも秩父札所よりも境内は広くて立派である。
「荒川の河岸段丘上に広がる秩父市街地の中心部に鎮座する」
「秩父神社の社殿と参道の南側延長線上に武甲山(時代によって武光山、秩父嶽、妙見山などとよばれる)があり、元々は武甲山を神奈備として遥拝する聖地であったと考えられている」
以上はWikipediaより。
�茵|疉禹ソ蠡�14番札所、長岳山今宮坊の観音堂
�蕁\�至堂
第14番札所、今宮坊。住宅街にある小さなお寺。観音堂には本尊である品の良い聖観音像と飛天像。勢至堂には勢至菩薩。
「江戸時代には、京都の聖護院の直末寺として、秩父地方の修験道の中心として大いに栄えた。当時は『長岳山正覚院金剛寺』と称していた。八大権現社(現・今宮神社)の別当寺でもあった」
「明治初期の神仏分離と修験禁止令により、当坊と今宮神社は分離させられた。現在、今宮坊と今宮神社は100メートルほど離れているが、かつての境内はもっと広く、間の民家があるところも全て両寺社の同一の境内であった」
以上はWikipediaより。
�茵|疉禹ソ蠡�15番札所、母巣山少林寺の納経所
�蕁)榮�
第15番札所、少林寺。町中にあるこぢんまりとしたお寺。側を秩父本線が走るので、参道が妙な感じになっている。
「本来、秩父札所三十四観音霊場第15番の寺は『蔵福寺』であり、秩父神社の境内にあった。ところが、明治初期の神仏分離のあおりを受け、廃寺となってしまった。秩父札所の寺が失われることを憂い、近くにあった当寺を現在地に移し、『秩父札所第15番札所』を継承することになった(Wikipedia)」
�茵|疉禹ソ蠡�16番札所、無量山西光寺の本堂
�蕁|疉禹ソ蠅罵0豸渋犬垢觧テ�
四国八十八箇所の本尊模刻を巡る回廊堂
第16番札所、西光寺。住宅街にある小さな一角のお寺。本堂の他に二つの堂宇と酒樽に入った大黒天がある。それと本堂の回廊を使った四国八十八箇所霊場と住職の書。他にも住職の書画入りのうちわも販売していて、何と言うかサービス精神が強い。
�茵|疉禹ソ蠡�17番札所、実正山定林寺の観音堂
�蕁\捷顱∈篥譟�秩父百観音の御本尊が浮き彫りにされた梵鐘
第17番札所、定林寺。住宅街にあり観音堂がポツンとあるお寺。梵鐘がまあ有名らしい。「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」とのコラボ絵馬とポスター。
「現在は、秩父札所17番となっているが、『長享の秩父札所番付(長享番付)』では1番になっている。江戸時代に入ると、江戸からの巡礼者が秩父往還経由で来るようになったことから、番付が変更になったという(Wikipedia)」
�茵|疉禹ソ蠡�18番札所、白道山神門寺の観音堂
�蕁”堝案�
第18番札所、神門寺。国道140号に面した、住宅街にある本当に小さな一角のお寺。それでも観音堂と共に二つの堂宇と納経所が所狭しと並ぶ。御開帳された本尊は両手で蓮華を持つ聖観音で小学生くらいの大きさ。
�茵|疉禹ソ蠡�19番札所、飛渕山龍石寺の観音堂
�蕁〇暗喃牝�
第19番札所、龍石寺。住宅街の中にあるお寺。大きな凸凹した岩盤の上にポツンと観音堂が建つ。御開帳された千手観音は小さいけれども煌々とライトに照らされていてはっきりと見える。脇には御前立も。右手には小さな十二神将、でも10体のみ。
�茵|疉禹ソ蠡�20番札所、法王山岩之上堂の観音堂
�蕁‘夏發寮藜匯イ箸気襪椶�
17時前に第20番札所、岩之上堂。郊外の住宅地に駐車場があり、そこから参道を下って行くと、観音堂は荒川が削った高い土手の際に建ち、荒川に面している。川の音が轟々。御開帳された小さな本尊は聖観音で、周りに小さな四天王が取り囲む。
「創建年代は不明である。応仁年間(1467年 - 1469年)の時点で、既に寺運衰微し、堂宇も荒廃して、ただ本尊の聖観世音菩薩のみが岩の上でむき出しに安置されていた。当堂の『岩之上堂』の名称は、これに由来する。なお、当堂は現在『秩父札所第20番札所』であるが、1488年(長享2年)の札所番付(長享番付)も20番である。番付が変わっていない札所は当堂のみである」
「1703年(元禄16年)、内田家が堂守となって観音堂を再建した。現在も所属宗派は臨済宗南禅寺派であるが、僧侶ではなく内田家が管理している。このような例は他の札所ではみられない当堂の一大特徴である」
以上はWikipediaより。
秩父札所三十四観音霊場の第21〜34番札所 R08 (2026) .09.08
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