ロングウォーク(2026)を、観ました。
物語のベースとされるスティーブン・キングの原作『死のロングウォーク』は、高校生くらいの頃に読んだと思います。
あの当時、キング、流行ってましたから。
結末の最後の数行が、妙に印象に残ってますけど、途中の展開はほぼ覚えていません。40年くらい前ですから。
だから、ほぼ知らない物語としてこの映画を観ることができました。
だから、というわけではないんでしょうけど、固唾をのんで緊張しながら映画に引き込まれた、というのが正直な感想です。
今とはちがう世界の分断されたアメリカが舞台。
全国から集められた50人の青年が、スタート地点から、ただひたすら歩いていく。
歩くのをやめたら、即射殺。
なんでこんなイベントが国を、軍隊をあげて行われているのか。
このイベントをやった年は、国家の生産性が大きく伸びたから。
なんで参加者が集まるのか。
最後の一人になって優勝すれば、莫大な賞金と、ひとつ願いがかなえられるから。
そんな理由づけに、まったく説得力はありません。
少佐と呼ばれる人物が、絶大な権力によって有無を言わさずイベントに参加させている空気が感じられます。
白人の青年レイ・ギャラティは、最初に出会った黒人青年ピーター・マクブリーズに声をかけます。
レイとピーター、さらには中国系のハンクなどの青年たちが、ともに死に向けたハイキングを歩きはじめます。
最初は、なんとなく観ていました。
でも、最初の脱落者が出た後は、緊張感が増してきます。
靴紐を結ぶだけでも立ち止まったら、警告1。
3つか4つでアウト。
射殺されます。
これがね、射殺シーンはけっこう生々しく、ライフルを向けられて、ドカンという銃声とともに顔の一部がふっとび、血しぶきが飛びます。
ここまで生々しく見せるんだ、とドン引きしました。
一人が実際に銃殺され、50人の青年たちに緊張感が走ります。
映画の中で、なんでこんなことになっているのか、という説明が少ないからでしょう。
観る側として、勝手に想像がめぐります。
太平洋戦争で日本の青年たちが、特攻に志願するよう追い込まれていたのに近い感覚が、この世界の、今歩いている青年たちのあいだにあったのかなぁ、とかね。
観る側に想像を働かせろ、というのが作り手のメッセージだとしたら、語りすぎない手法は見事な手腕と感じます。
観ていてもう一つ思ったのは、これは作る人の人間観がでているんだろうな、ということでした。
歩く青年たちは、決して積極的に争わないんですよ。
むしろ、お互いに励ましあう場面が多い。
こんな目の前で仲間たちが射殺されている極限状態で、がんばれ、立ち止まるなと励ます。
相手ががんばった結果、自分が力尽きて射殺されるかもしれないのに。
それが絵空事のように感じられず、説得力を持って物語に引き込んでくれる。
そう感じられるように、ちょっとずつエピソードを積み重ねているんでしょうね。
憎まれ口をたたいて、歩いている仲間の一人を結果的に死なせた青年がいました。
そんなつもりじゃなかった、なにやってるんだ、立ち上がれ、必死で挽回しようとするも、歩いていた仲間は射殺されました。
それがずっと尾を引き、彼自身を追い込んでいきます。
不良っぽい、ちょっと斜に構えているように見えた彼は「嫌な奴だと思われて、死にたくない」と叫んで・・・。
この映画に、誰かを追い込んで自分が助かろうという人間はひとりも出てきませんでした。
結末は、ある意味、意外な展開になりましたけど、見終わってしばらくして思いました。
これってつまり、人生そのもののメタファーだったのかもしれないな。
あれこれ考えて、感想も未整理なので、いずれ推敲して、レビューに出したいところです。
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