山口周著『自由になるための技術 リベラルアーツ』を読む。
教養とかリベラルアーツについて、著者が出口治明や菊澤研宗、ヤマザキマリ、橋爪大三郎といった、ほかの本でもわりとみかける人たちと語り合う。
菊澤氏とかヤマザキ氏、出口氏あたりは一時よく読んでいたから、この話は知っているなぁっていうのもあるんだけど、対談で語り合っているというのは、それはそれで楽しいものだ。
教養は、たんに知識を詰め込むことではなく、自由になるための技術として身につけるもの、という。
なるほどと思う。
そのために、読むなら古典が大切だ、と。
ただそれはねぇ。
古典の大切さはわかるし、古典を選んでおけばまちがいない、というもそうなんだろう。
問題は、古典といわれるものは、こういうビジネス・エンターテイメントほどには気楽に楽しめないんだよね。
読むのに時間かかっちゃてさ。
司馬遼太郎でさえ、あれはエンターテイメント、大衆小説でしょ、という向きもある。
司馬遼太郎も、『竜馬がゆく』は面白くて全部読んだけど、『坂の上の雲』は読み切れなかったものなぁ。
古典って、どうしてここまで生き残ってきたんだろう。
夏休みとか、ちょっと時間のとれそうなときに何か挑戦するのも、いいかもしれないな。
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