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2026年04月28日16:45

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吉備津神社と天体の関係

平津 豊
吉備津神社と天体の関係3(平津豊:日本天文考古学誌VOL.7より抜粋)

岡山市の備前吉備津彦神社は、社伝では推古天皇の時代に創建されたとなっていますが、『延喜式神名帳』に記載がなく、古文書に登場するのは平安時代後期です。
吉備国が687年に分国されたことを受けて、平安時代後期頃に備中吉備津神社から分社された神社と考えられます。
この神社では、「夏至の朝日が社殿の鏡を照らす」といわれており、これを検証しました。

備前吉備津彦神社は、本殿、渡殿、祭文殿、拝殿、随神門、神池、鳥居が一直線に並び、本殿の中心軸の方位は、本殿から見て58±1度でした。
夏至の日に太陽が北方の山の稜線から現れる方位を天体シミュレーションソフトで計算すると62.0度でした。
58度と62.0度の差は4度の差となり、太陽が昇るにつれて、その方位の差は次第に大きくなっていくため、厳密には夏至の日の出の太陽が社殿の中心軸上に位置することはありません。
この約4度の差を「誤差」として許容するかどうかは、議論の分かれるところですが、本論文では、この4度の差を意図が認識できる範囲内の許容誤差と判断し、本殿の中心軸と夏至の日の出の方位には関係があるとしました。

なお、現在の本殿は、1697年に池田綱政が神宮寺跡に移して再建したものですので、夏至の日の出の太陽の光が社殿の中心軸から差し込むという現象は、古い時代から続くものではなく、江戸時代に再建された社殿で起こる現象といえます。
一方、備前吉備津彦神社は、神社の背後の龍王山の2〜3メートルの巨岩を「元宮磐座」と名付けて「磐座祭」を行っています。
この巨岩は、備前吉備津彦神社と夏至の日の出のラインを伸ばした延長線の側にあるため、あたかも神社が建てられる以前の磐座祭祀の時代から夏至の日の出との関係が存在したという印象を与えています。
しかし、古文書に、この巨岩に関する記載はなく、「元宮磐座」は、祭祀されていなかった岩石を2000年頃から備前吉備津彦神社が元宮の磐座であると称して祀り始めたものです。

まとめると、次のようになります。
古い歴史を持つ神社では、山の上の磐座で行われていた祭祀を起源とすることが多いです。
しかし、備前吉備津彦神社は、備中吉備津神社から中山の麓に分社されたため、背後の山の磐座祭祀に起源を求めることができません。
そこで、江戸時代に新しく太陽軌道の特異点である夏至との関係を設計に取り入れて社殿が建設されました。
つまり本殿の中心軸の延長上から夏至の太陽が昇るという現象を演出することで、神社に対する畏敬の念を形成しようとしたのではないでしょうか。
この太陽祭祀は引き継がれることなく断絶していましたが、近年「日の出祭」として復活しています。
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