本稿0494でMG社の戦前モデルの代表としてJタイプ・ミジェットについて記しましたが、このモデルに関してMGフリークの間で語り草になっているレースがあります。1933年9月2日に開催されたTourist Trophy(TT=ツーリスト・トロフィー)です。
北アイルランドの政庁所在地ベルファスト市のArds(アーズ)サーキット(公道、1周21.7km)を35周する約760kmのコースで行われた1933年のTTは、MGがK3マグネット(スーパーチャージャー付き水冷直列6気筒OHC1086cc、120馬力)を用意してイタリアから招待したスーパースター・ドライバー、Tazio Nuvolari(タツィオ・ヌヴォラーリ)が優勝しました。準優勝が語り草になっているJミジェットで、パワープラス製スーパーチャージャー付きのJ4(水冷直列4気筒OHC746cc、72馬力)でした。このマシンをドライブしていたのがHammy(ハミー)の愛称で親しまれていたHugh Caulfield Hamilton(ヒュー・コールフィールド・ハミルトン)、主題の人物です。
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優勝していた筈なのにピットのメカニックの醜態で2位になったハミルトンのレース顛末は本稿0493【ピットワーク】をご参照ください。
ハミルトンは1905年6月18日にアイルランドのオマーで生を受けました。そして1922年に家族と共にイギリスに移住し、数年後にロンドンのMGディーラー、UNIVERSITY MOTORSのセールスマンの職を得ます。このディーラーはMGにとって最重要で、UMGで始まる登録番号が当てがわれるように政府のDepartment for Transport(運輸部門)に掛け合っています。
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またユニバーシティ・モーターズは独自にバッジを作っていて、現在ではリプロ品が出回るほど人気があります。
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《1930年》
ハミルトンは25歳の時に初めて参戦したレース、ダブル・トゥエルブ(1930年5月10日、於ブルックランズ・サーキット)で、ライレー9ブルックランズを駆って3位になりました。初陣が25歳とはすこぶる遅いレースデビューです。機会が無かったのでしょうね。
《1931年》
MGミジェット(MG・Mタイプ・ミジェット)で参戦した1931年8月22日のTTはリタイアに終わりましたが、約2週間後(9月5日)のダブル・トゥエルブは同じクルマで3位になッています。
《1932年》
このシーズンで特筆すべきは6月4日にブルックランズ・サーキットで開催されたJCC 1000マイル・レースです。MG・Cミジェットで参戦したハミルトンがエンジンを壊してピットインした際、メカニックのCecil Cousins(セシル・カズンズ)がにわかには信じられないような整備をしました(本稿0006)。結局リタイアしたのですが。
でも7月17日にグローサー プレイス フォン・ドイチュラント・レース(ニュルブルクリンク ・サーキット、ドイツ)では同じMG・Cミジェットを駆って優勝、溜飲を下げています。
しかし、再びMG・Cミジェットで参戦した8月20日のTT、ブガッティT51に乗った9月24日のブルックランズ500ではいずれもリタイアに終わっています。
《1933年》
この年は、9月4日のミレミリアにMG・K3マグネットで参戦して22位、5月28日のアイフェルレンネン(ニュルブルクリンク・サーキット)ではMG・J4ミジェットでクラス優勝を遂げています。
そして冒頭に記したTT(9月2日)です。ゼッケン25のMG・J4ミジェットのハミルトンはメカニックの醜態でピットに約7分も停め置かれ、最終的に40秒差で2位に甘んじました。
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この僅か2週間後の9月17日にチェコスロバキアのマサリク・サーキットで開催されたマサリクGPで、MG・J4ミジェットを運転中に羽織っていた防水ケープが眼を覆ってクラッシュしました。
彼は肋骨を3本折り内臓も損傷しましたが、年内に回復したとのことです。
レース前にチェコスロバキアの女流レーサー、Eliška Junková(エリシュカ・ユンコヴァ)のインタビューを受けているハミルトンの写真が残っています。
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《1934年》
8月26日、スイスの首都ベルンのブレムガルテン・サーキット(1周7.28km)を70周するスイスGPが開催されました。
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ゼッケン40のマセラティ8CMをドライブしていたハミルトンは、ゴール直前で左前輪がパンク、コースアウトしてモミの木に激突しました。観客2名が巻き込まれて負傷しました。
死亡したハミルトンは死後解剖され、衝突前に心臓が停止していたとされました。
ヒュー・ハミルトン、享年29歳。夭逝(ようせつ)した惜しい才能でした。
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