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2026年03月07日14:43

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歴史研究部 ・もう一つの神武東征・

神武の大和侵攻に抗して抵抗した「長髄彦」については、
●伊弉諾神社(長弓寺):奈良県生駒市上町。
昔の名前は「登弥神社」。ナガスネヒコを祀っているわけではない。
「長弓寺」は、ナガスネヒコ(長髄彦)の旧跡とされており、
周辺にはナガスネヒコ・ニギハヤヒ・トミヤヒメの史跡が、色々ある。
ニギハヤヒの廟所には、神器が埋められたと言われていうる「真弓塚」がある。
「真弓塚」には、埋められた神器である
「天羽羽弓」「天羽羽矢」「神衣・帯・手貫」のうちの1つである
「天羽羽弓」が埋められている。
●歌姫町の「添御県坐神社」:奈良市歌姫町。
御祭神の一人である「武乳速之命(タケチハヤノミコト)」は、
ナガスネヒコの別名と言われている。
●三碓の「添御県坐神社」:奈良市奈良市三碓。
御祭神の一人として、歌姫町と同じく、ナガスネヒコの別名と言われている
「武乳速之命(たけちばや、タケチハヤノミコト)」を祀っている。
●奈良市の「登弥神社(登彌神社)」:奈良県奈良市石木町。
祭神の一人である「登美建速日命(トミニギハヤヒノミコト)」が、
ナガスネヒコであるという逸話もある。
●桜井市の「等弥神社(等彌神社)」:奈良県桜井市。
ナガスネヒコの本拠地である「鳥見(とみ)」は、
「等弥神社」である桜井市である説が有力。
ただし、ナガスネヒコを祀っているわけではなく、
祭神に「登美建速日命(トミニギハヤヒノミコト)」もいない。
<訪問mixi日記>
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「武乳速之命(タケチハヤノミコト)」
添御県坐神社で「武乳速之命」とされており、
武乳速之命とは天児屋命の別名なのです。
天児屋命は、中臣氏及び藤原氏の祖神とされていますから、
中臣(藤原)鎌足は「長髄彦」の子孫であると考えられるのです。
「登美建速日命(トミニギハヤヒノミコト)」
大和国には鳥見(登美)という地が二か所、
城上郡(現桜井市)と添下郡(現奈良市)にある。 長髄彦の本拠は城上郡のほうであったが、
添下郡のほうも無縁ではなく、長髄彦の勢力範囲であった。
この二つの鳥見にはそれぞれ式内社があり、
城上郡の等弥神社、添下郡の登弥神社があげられる。
後者は富雄川東沿岸の奈良市石木町に鎮座するが、
その祭神のなかの一人に登美建速日命という神があり、
同社の他の祭神からみて、
この神が本来の祭神で登美彦すなわち長髄彦にあたると考えられる。

「竹内文書」を継承する人物が「武内宿禰」の名を襲名しており、
「麻生太郎」も「竹内文書」の継承者の一人である。
麻生太郎と言えば、藤原鎌足(中臣鎌足)の系譜であることが知られています。
そのため「中臣鎌足」と「武内宿禰」が繋がり、
武乳速之命である「長髄彦」と繋がります。

古史古伝の東日流外三郡誌によると、
「長髄彦」は東北に逃げ延び、
アラハバキとして神武天皇の大和朝廷と対決するようになった。
欠史八代もその影響か?
いずれにしても勝った側のいいように歴史は改ざんされ、
書き記されているのも事実なので、
歴史を知る難しさを痛感しました。
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