不動院での大仏追善供養の後を書くつもりでしたが、折り畳み傘の一件で後回しになってしまいました。
不動院もその一つではありますが、船橋の街中にも実に多くの寺社が有ります。
追善供養の前後、それらを含めた名所を色々歩いてみました。
この辺りの名所と言えば、先ずは廃墟として名高い廃旅館妙泉。
個人的にはほぼ5年ぶりです。
(何故か灯りが(@ ̄□ ̄@;)!!)
もちろん中には入れませんが、通りから見える範囲では5年前と特に変わっていなさそう。
続けて「日本一小さい」東照宮。
かつてここ一帯に存在した徳川家康の船橋御殿の一部です。
毎回思いますが、船橋市はこのように歴史的な文化財の案内やPRなどが本当にダメダメ。
船橋市民でも知らない人は多そうだし、そこに行く道にも案内は殆ど有りません。
曲がり口に有る指導標も、おそらく地域の方が作ったのであろう小さな物のみです。
先日インスタに上げた昭和テイストな喫茶店モナリザで昼食、しょうが焼き定食を戴きました。
食後に向かったこちらは龍王山大覚院、人呼んで赤門寺です。
ここに有るのは知っていましたが、来るのは初めて。
名称といい赤門といい、受験生に人気有りそうな寺院ですが、なんと境内にはミニチュア版四国八十八札所が(@ ̄□ ̄@;)!!
ちゃんと四国形に並んでおります。
もちろん回ってみました。
ゆっくり回って1分くらいでしょうか。
更に歩いて千葉街道沿いの山野浅間神社へ。
数年前、廃川となった大刀洗川を辿って歩いた際に来た事が有ります。
鳥居を潜り、緩やかに登っていく参道が良い感じです。
社号や前面の千葉街道がかつての海岸線だった事を考えると、当時は海と富士山を望む舌状台地の岬だったのでしょう。
ここまで来ると、西船橋駅もすぐ近く。
武蔵野線経由で流鉄の平和台駅へ移動します。
この平和台駅は地元の不動産屋さん?か何か由来の名称らしいですが、かつては赤城駅という名称でした。
近くには、その名のとおり赤城神社が有ります。
かつて利根川の上流から赤城山がここに流れてきたという言い伝えが有り、これが流山という地名の由来と言われています。
ほぼ平らな周辺と比べ、ここだけポッカリと小山になっていたり、なるほど流れてきた赤城山はコレか…といった風情です。
ひょうたん島じゃあるまいし、山が形を保ったまま流れてくるなんて…とは思いますが、流れてきた土砂の中に赤城神社の御札が有ったくらいの事は有ったかもしれません。
かなり前、レストアを終えたランドナーの試走でここまで来た事が有りました。
次に向かったのが近藤勇陣屋跡。
新撰組は鳥羽伏見の後、将軍慶喜らと共に江戸へ、そして八王子千人同心らを加え甲陽鎮撫隊として、甲府城で戦うも惨敗。
隊も散り散りになりつつも、再起を期して移ったのがここ流山です。
態勢が整わないうちに新政府軍に包囲され、幕臣大久保大和と名を偽り、新政府軍に敵対するものではないと投降しました。
当時は顔写真が普及している訳ではなく、実際に会った事が無ければ、顔が分からないのが普通であり、近藤もそれで通せると踏んでいたのでしょう。
しかし、運の悪い事に新政府軍の中にかつて新撰組に粛清された御陵衛士の者がおり、近藤勇という事がバレてしまい、捕縛、そして斬首されました。
盟友土方はこの後も北へ北へと戦いを続けていきますが、それはまた別の話です。
この日最後に向かったのは、すぐ近くの浅間神社。
言うまでも無く浅間神社とは富士山信仰の神社であり、富士山を模した冨士塚が築かれている事も少なくありません。
先ほど行った船橋市の浅間神社には冨士塚は見当たりませんでしたが、こちら流山の浅間神社には実に立派な冨士塚が有りました。
登る事も出来ます。
私が今までに見た中で、これに匹敵する冨士塚は市原の戸隠神社内の浅間神社に有った冨士塚くらいでしょう。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1989648400&owner_id=206350&from=list_diary_search
ここらで夕方の用事の為、流鉄流山駅に向かいました。
船橋ではもう幾つか寺社を巡っていますが、ここでは省略します。
急ぎ足ではありましたが、四国お遍路さんや富士講のミニチュア版を体験し、霊験あらたかな気分です!
ログインしてコメントを確認・投稿する