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2026年02月19日23:53

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落ちこぼれ思想

 私は数字や序列を非常に気にするタイプである。それは悔しいというより惨めという感情だ。

 たとえば五人の走者がレースをしていたとしよう。当然1位から5位まで決することになる。5位になったら悔しい気持ちになるだろう。一方で1位になったら嬉しいと思う。それが当たり前の感情である。

 ただ私の場合は少し違う。5位になったら悔しいという気持ちもあるが、それ以上に惨めな気持ちになる。公衆の面前でビリという醜態がさらされる、自分は弱者であると世間に公開されるのだ。あの感覚は本当に惨めである。
 1位になったら嬉しいという気持ちもあるが、それ以上に負けた人の気持ちを勝手に想像して辛くなってしまう。なんなら4位になっても、ビリじゃなくて良かったと思いつつ、5位の人の心情を勝手に察して申し訳ない気持ちになる。

 難儀な性格だろう。私は根っからの「落ちこぼれ思想」なのだ。だから視点が常に弱者側にある。できなかった側、序列の低い側、私は私自身をそっち側に位置付けている。

 なぜ悔しいより惨めな気持ちになるのか……それは、自身が落ちこぼれであると再認識させられるからである。


ぼくはまだ「マイナス」なんだッ!
「ゼロ」に向かって行きたいッ!
自分の「マイナス」を「ゼロ」に戻したいだけなんだッ!!


 ジョジョ7部のジョニィの嘆きがまさにそれである。私はこの言葉に強く共感する。
 私は「普通」ではないのだ。「一般人」より劣った存在、そんな自覚がある。私はただ「普通」になりたいだけなのに……そうなれない自分の惨めさが嫌になる。

 たとえば私はVtuberをよく見る。そして箱内大会なんかも見ることがある。そうなると当然、全然勝ててない人が生まれる。その人は今、この大会を楽しめているのだろうか……配信者として表では楽しそうにしていても、内心辛いと思っていないだろうか……と考えてしまうのだ。何度か試合をして毎回下位安定みたいな、不完全燃焼で煮えきらない結果に悔しい思いをしていないだろうか……と考えてしまうのだ。

 それが落ちこぼれ思想。勝手に弱者扱いして、惨めに思っていると決めつけ、勝手に気持ちを推し量り、それに共感する迷惑な存在。そしてそれを自覚しているのに、それを止めることができない憐れな存在。今こうして自分自身を卑下しているのもまた、自身の思想を落ちこぼれ思想たらしめている所以である。

 あまり好きな言葉ではないが「ギリ健」という言葉がある。これはギリギリ健常者の略で、障害者ではなくただただ能力が低いだけの健常者だからこそ、まともな健常者で構成された社会で生きづらい……そんな人を表す言葉である。
 ただ、定義を調べてみたら、全く当てはまらなかったので私はギリ健ではなかった。というか端的に言うとIQの低い健常者のことを言うらしい。なんか思ってたのと違った。

 別に私は特に精神的、身体的障害もない。健常者の中に紛れて健常者として生きてきた。でもそんな健常者社会の中で私はいつでも劣った存在だった。正確には劣った存在だと自覚させられる態度を周囲から取られてきた。だから私は自分を劣った存在だと認知しているのである。だからこそ落ちこぼれ思想になったのである。

 そんな自分の落ちこぼれ思想に嫌気が差している。できればそんな思想は変えたい。
 ただ一方で、それを変えるのが少し怖いと思う自分もいる。「落ちこぼれ思想」というと聞こえは悪いが、要は相手のネガティブな感情に寄り添う心があるということである。それが実際に出来ているかは別として、そうしたいという気持ちがある。それが落ちこぼれ思想の唯一の長所である。

 それを変えるということは、そういった長所も無くなってしまうかもしれない。そんな簡単に無くなることなんてないが、万が一があるかもしれない。強者の理論を振りかざし、それを当然のものと認知することで、弱者の気持ちを理解できなくなるかもしれない。
 それにどれだけ強者の理論を振りかざしたとしても、所詮今の自分は弱者であることに変わりはない。ある時、自分が弱者であるということを思い出させられた時に、心が折れてしまわないか心配だ。私が落ちこぼれ思想でいるのは、一種の防衛本能でもある。心が壊れてしまわないよう、自分から卑下することで保険をかける。

 私は今まで何度も自分に裏切られてきた。自身の能力の低さに絶望してきた。そりゃ私だって中学生ぐらいまでは、自分はそんな劣った人間じゃないと思いたいと思っていた。でもある時にもう諦めたのだ。自分が弱者であると認め、認識を改めて、自分を諦めたのだ。それがこれ以上自分が傷つかないための、自分自身に裏切られないための結論だった。
 創作によくいるだろう。人を信じて裏切られてを繰り返してきた結果、人を信じないことにしたようなキャラが。信じなければ裏切られずに済むと。あれの、自分自身だけで完結しているバージョンだ。

 私は小学生の時、スイミングスクールに通っていた。一緒に通っていた友人も何人かいた。同じカリキュラムを受けているにも関わらず、友人はどんどん進級していって、自分はずっと進級できないまま……。友人は上のコースで仲良く同じカリキュラムを受けているのに、私一人下のコースでカリキュラムを受けている。
 本当に苦しかった。悔しくて惨めで、でもそんな感情を人に見せたくなくて、進級なんて興味ないふりしてた。小学生ながらに自分の感情を押し殺して、友人に、親に、気を遣われないようにしていた。
 それで努力なんて馬鹿らしくなって、どんどん楽な方に逃げて、そうやって生きてきた結果が今の自分に反映されている。

 自分を変えたいといっても、小学生の時点でそうなのだから、もう根っからの「落ちこぼれ思想」である。それを今更変えられるかは甚だ疑問である。
 結局のところ私はこの「落ちこぼれ思想」と惨めに付き合っていくしかないのだ。
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