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2026年02月19日05:42

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スターリンとバビロフ因果の糸


バビロフの運命は、クレムリンでは既に方向が定まっていたのかもしれません。ただ決定打となったのは、因果の糸が絡み合って起きた些細な出来事だったといいます。電車に乗り遅れたとか、飲料水を買うのに少し手間取ったとか、ちょっとトイレに寄ったとか、その程度のことだったかもしれません。

調査旅行から帰国したバビロフは、報告のためにクレムリンに出向きました。「やることが多すぎて時間が足りない」が口癖だった彼は、このときもクレムリンの廊下を大急ぎで歩いていました。手に持った鞄も、訪れた国の農業事情をまとめた報告書や資料で膨れ上がっています。勢いよく角を曲がろうとしたとき、反対からも誰かやってきました。

正面衝突した2人は床にひっくり返り、かばんの書類も散乱しました。バビロフの目に飛び込んできたのは、恐怖におびえきった相手の顔でした。それを見てしまった以上、長くは生きられない。バビロフは覚悟しました。なぜなら相手はスターリンだったからです。

バビロフは知る由もなかったのですが、独裁者スターリンは絶えず暗殺の恐怖におののいていました。ついにそのときが来たか。衝突の瞬間、スターリンの脳裏をそんな考えがよぎったでしょう。これまで数えきれないほどの乱暴を働いてきましたが、ついに自分がされる番になった。あのかばんには爆弾が仕込んであるに違いない。

しかし相手はただの不器用な学者バビロフだった。それでもスターリンのむき出しの恐怖を目の当たりにしたとき、バビロフの運命は決まった。衝突事件の直後からバビロフの様子が変わり、研究にいっそう拍車がかかったことは、友人たちも証言しています。

勢いを増すルイセンコとエセ科学のせいで、ソ連の穀物生産は打撃を受けていました。ロシアの冬を生き抜く小麦の品種を、一刻も早くつくる必要があったのです。パブロフスク研究拠点の実験農場。小麦と大麦が植えられた一画は、種類ごとに色分けされた標識がケシの花のように風に揺れていた。

綿密な観察を続けるバビロフに、弟子のリリヤ・ロージナは当局の監視の目を盗んで進言しました。遺伝学の実験はあきらめてください。ルイセンコが、飢饉の元凶はバビロフだと触れ回っています。だがバビロフは意に介さなかった。何があっても研究は続けなくてはならない。急がなくては。時間を惜しんで働き、結果を正確に記録するのだ。

尊敬するマイケル・ファラデーのように。もし自分がいなくなったら、きみが代わりに進めてくれ。大切なのは科学を正しくやり遂げること。飢饉は今だけでなく、将来また必ず起きる。それをなくす手段は科学しかない。

「でも同志、あなたは逮捕されますよ!」 ロディナは食い下がる。「ではなおのこと研究を急がなくては」それがバビロフの答えだった。スターリンに引き立てられたルイセンコは、ソ連の最高指導部に食い込んでいく。

共産党中央委員会の委員に選出され、スターリンの片腕として恐れられたビャチェスラフ・モロトフやラブレンチー・ベリヤと肩を並べるまでになった。反バビロフの根回しも怠らず、彼の非科学的なたわごとがソ連の農業を破壊し、スターリンの地位を危うくしていると中傷を繰り返した。

バビロフを調査した。KGBファイルをマーク・ポポフスキーが英訳したものがあります。そこには、事実だけを頼みとする人間が民衆扇動者に対していかに無力であるかが克明に記されており、読むのもつらい。バビロフは研究の進捗状況を報告するため、党の委員会に召喚された。バビロフは見るからにやつれ、落胆した様子だった。

飢えに苦しむ国家を心強く励ます言葉を、用意できなかったからです。バビロフは、自分の研究所の生化学者たちは、レンズマメとエンドウマメを含有タンパク質で識別することもまだできないと述べました。はったりや空手形の気配はみじんもない、控えめながら正確無比な報告でした。偉大な科学者が自ら公開処刑に出向いたのです。

ルイセンコの喜ぶまいことか。彼は席から立ち上がりもせず、こう言いはなった。「レンズマメとエンドウマメの違いなど、食べてみれば誰でもわかる」演壇のバビロフは落ち着いていた。正しい主張はおのずと勝利するという科学のあり方を信じていたのです。

「同志、これは化学的に識別できないという意味です」やつは万事休すだ。ルイセンコはとどめを刺すべく椅子から立ち上がり、芝居がかったしぐさで、大きな講堂の端から端まで見渡した。「食べてみればわかるものを、化学的に識別する意味がどこにあるのかね」 満場の拍手が起こった。扇動者の敵意は大きく実り、収穫のときを迎えていた。

出席していた下級役人たちは、科学者にやり込められたり、難解な専門用語に戸惑ったりした経験があります。飢えと恐怖におびえていた彼らは、世界的に名を知られた研究者でかつ、鋼鉄の意志を持つ冒険家に一気に優越感を覚えてあざ笑った。

これ以上バビロフを相手にする必要はないと判断したルイセンコは、バビロフをただちに逮捕して、警察国家の餌食にするようスターリンに依頼します。だがこれほどの人物が消息を絶つと、必ず騒ぎになるとスターリンは二の足を踏んだ。勇敢で着想力のあるバビロフは科学界で尊敬されています。

彼が国外に出られないならと、国際遺伝学会議の開催地をモスクワに変更しようとするほどです。だめだ、まだ機は熟していない。そこでルイセンコは、スターリンが手を下すのを待たずしてバビロフを葬り去る事にした。舞台はレニングラードにあるバビロフの植物生産研究所です。そこにはバビロフが収集した植物の種子が大量に保管されていたのです。

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