毎朝、ジョギングしながらスマホの読み上げ機能で読書する毎日。
読書とは、すべからく書見台に読むべき書物を置いて、鹿威しの音を聞きつつ、心落ち着けて向かうもの、という考え方もあるとは思いますが、読みたい本も多々あるわけで、動きながらでも楽しく読書しています。
内容が頭に入っているかどうかは、悩ましいところもありますが、レビューを書いて、ある程度残滓を残すようにはしています。
とはいえ、前にどこかで読んだことが、ふっと頭に浮かんで、この話はどこで読んだんだっけ?と考え込むこともあるもの。
たしか、読書について書かれた本だったと思います。
本を読むとは、ダンベルをもって体に負荷を与えるようなもので、やすやすと読めないからって、それを否定しては知的な成長は望めない、なんて話。
あぁ、そうか。
基本、俺は本を読むとは楽しいエンターテイメントと思っているけど、ときに難しくうまく租借できないんだけど、惹かれる本はあるもの。それってつまり、筋トレしているようなもんなんだな、と腑に落ちたものです。
もうひとつは、本を読まないことは、トレーナーなしで運動しているようなもので、ひとりでトレーニングする負荷ってけっこうなものだから、いまどきの本を読まない人はかえってつらいんじゃないかな、という話。
読書とは、自分の頭の中で他人に運動してもらっているようなものだから、怠惰なことなのだ、なんてゆったのはショウペンハウエルの読書論だったと思います。
ショウペンハウエルは自分の代わりに他人に運動してもらっているんだから、そんなんで偉そうにするなよとゆってたわけですが、最近の読書を忌避する傾向を、ひとりでやるのってむしろしんどいよね、って逆方向から見ているようで、なかなか感心しました。
で、ここ数日そのあたりの話を頭の中でためつすがめつしているわけですが、はて、どの本で読んだんだろう?と考えてます。
どこで読んだんだったかなぁ。
読んだことって、反芻しているうちに、勝手にかわっちゃうこともありますからね。
もとの文を改めて読み返したいと思うんですけど、どの本で読んだのか忘れちゃいました。
内容が残ってるからいいんじゃない、という気もしますが、そうやってだんだん読んだことと自分で考えたことの区別が、つかなくなっちゃうのかもしれませんね。
ブクログで読んだ本は記録しているので、おいおい再読して探したいところですけど・・・図書館で借りた本もあるからなぁ。
まぁ、そういうの探すのもそれはそれで楽しくはありますね。
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