「あ〜。今日はなにをしようかな〜」と会社でみんなで夕飯の話をしたりします。
「今日はオットが汁物は作ってくれてる」とか「炊き込みご飯のもとで炊き込みご飯してくれた」なんて言うと。
うちのオットはしないよ、という話に。
でもね。
よそのオットもちゃんとできるみたいなんだよね。
1 ちゃんとできるけれど、自分の役割だから自分がする。
2 オットが味噌汁作ったけれどありえないくらいまずかった。あんなものは食べたくないので、わたしはオットよりも長生きして料理を作り続ける。
とか。そういう話をみんながしていて。
ようするに自分の役割を人に明け渡すのはイヤなんだなと思いました。
まあ、生きることはこだわりの塊だからそれでいいけど。
うちのオットはご飯と汁物くらいはできるようになったし。
炊き込みご飯のもと、というものをできるようになったのは大きい。
「ふつうの炊き込みご飯ができるならもっといいよね」と言ったら。
「考えてみろや。材料揃える方が高い。炊き込みご飯のもとは200円もしない」と言われて。
そうだなあ。
それでこれくらいおいしいならいいかと思うようになりました。
ときどき味変すればいいし。
そういう意味じゃ、あまり食べるのは好きだけど、そこまで料理にはこだわりないのかも。
今日はいろいろ作ってくれてたので、クックチャムで白和えとからあげ4個買って帰りました。
ええ、オットには「料理が上手になって毎回おいしいものを作ってくれるので、とても助かる」言うてます。
じゃあ、わたしはこだわるものは何なのか。
やっぱり「表現することは生きること」の部分ですね。
自分にそういうものがあるのはとても幸せであります。
ログインしてコメントを確認・投稿する