今週は、なかなか詰まっていた。
フィニッシュは本日だったわけだけど、朝の6時にはオフィスでパソコンを立ち上げ、なんとか書類を仕上げて、さらに別件が入って、と、まぁ20時前くらいになんとかカイシャを出られたくらいかな。
20時ならまだ早いというビジネスマンの方もいるだろうが、うちのカイシャは8時朝礼。世間の会社に比べたら1時間早い感覚もあって、すでに誰もいなかった。
帰りに車を運転しながら、どよ〜んとした気分のなか、先日読んだ本のある場面が思い出される。
「
高野 著者にはかつて継母がいて、彼女の自殺が信仰に目覚めるきっかけになったんですよね。でも、この話をピダハンにすると、爆笑されてしまう。
清水 著者としては、とっておきの話をするつもりでまじめに打ち明けたのに、「愚かだな。ピダパンは自分で自分を殺したりしない」と言われてしまう
」
高野秀行、清水克行著『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』の一節だ。
読書対談なんだけど、この節で取りあがられていたのは『ピダパン』という少数民族についての本だ。
昔、吉野朔美の読書エッセイマンガで読んで、知ってはいた。
キリスト教の宣教に行った著者が、自分の宗教体験として継母の話をしたら、どっと笑われる、ってくだり。
やっぱり印象に残るところなのか、今、吉野朔美のマンガを出して件のところを開いてみたら、同じ場面がマンガにされていた。
悲壮感って、真剣なものだけに、ちょっとずらすと笑えてくるのかもしれない。とはいえ継母が亡くなったというのを笑うのはどうかと思うけど、そういう観念のない人たちからは、ドリフのコントみたいに思えたのかもしれないな。
仕事で忙しくて、切迫感を感じた挙句、どっと疲れた時にそんな自分をふとピダパンの人がみたらどう思うんだろう、なんて浮かんだんだよね。
一瞬、自分がピダパン(知らないけど)になった気分で、笑いがこみあげてきた。
疲れたんなら、やすみゃあいいだろ、って。
直接経験しか「ない」人にとってみたら、自分の感覚がすべてだ。
今、疲れて休みたいという感覚以外になにがあるというのか。
ふっ、と力が抜けた。
明日からは愛知県民の日とやらも含めた4連休になる。
ちょっと仕事しなくちゃいけないところもあるかもしれないけど、まぁのんびり休もう。
『ピダパン』読んでみたいな。
ログインしてコメントを確認・投稿する