朝のおじいさん散歩。
保阪正康、白井聡著『「戦後」の終焉 80年目の国家論』を読んだ。
保阪氏と白石の日本近現代史をテーマにした対談。
保坂氏は、現在80代くらいで日本の近現代史の著書が多い。昭和史探偵といっていた半藤一利氏との共著も多く、『あの戦争はなんだったのか』など、何冊か興味深く読んでいる。今も文藝春秋で『日本の地下水脈』を連載していて、楽しみにしている。
白井氏といえば、年齢でいえばまだ40代と俺よりも若い。永続敗戦論や『新しい戦前』『長期腐敗体制』など、体制批判の著書が多い気がする。世代が近いせいか、共感するところも多く、好きな作家さんであり学者さんだ。
世代を超えたお二人の対談は、面白かった。
興味深い話題はいくつもあったんだけど、なかで石橋湛山の話題が出ていた。
石橋湛山というジャーナリストから政治家、短命ながら首相にもなった人物で、最近、よく取り上げられるようになっている。
俺自身、以前、半藤一利の石橋湛山の評伝は読んだ。
保阪氏も、石橋湛山の評伝は書いているね。そちらは先日、図書館で借りてきた。
石橋湛山は見識、胆力において抜きんでていた。
小日本主義を唱え、海外に進出して植民地支配をする帝国主義を批判した。
彼がもう少し長く首相の座にとどまっていられたら、日本のその後は変わっていただろう、という話だった。
対して、現首相の石破茂はどうか。
保阪氏自身、保守本流として期待していたところはあったが、実際に首相になってからはどうも期待外れだった、ということだった。
胆力が足りない。
何がしたいのかが、みえてこない。
そういうことのようだ。
長期政権だった安倍晋三についても、もちろん話は出ていた。
安倍晋三も戦後の歴代の首相の中で、首相の器としては至らず、これをやるといっても、他からなにかいわれたらすぐにぶれていた。そのあたりで、考え抜かれたことから生まれる胆力がなかった、と。
ただ、政権運営がうまかったにすぎない。
長期政権となりえたのは、つまるところ日本の状況が末期的だから、変えることができなかったのだ、と。
なるほどなぁ、と思う一方で、では何が足りない?どうすればいいの?という気もするんだよね。
そんなふうに足りないとされた現政権の側に共感、まではいかないまでも、同情するような感慨を持つのは俺自身、組織においてそれなりに責任を求められ、あちこちから叩かれるポジションにいるからかもしれない。
「カイチョウ(父のこと)は、怖かったし、ぶれなかったですよね」
とか、すでに一線を引いた父とか、他の代の責任者と比較されることもある。
責任あるポジションいうのは、現状に対する不満の受け皿の役割も担わないといけないと思って、受け流してはいるけどさ。
本を読んでいて歴史になった人物と、現在進行形であちこちから、小突かれつつかじ取りしなきゃいけないポジションをみて、なんか「やれやれ」と疲れを感じるところはあるんだよねぇ。
まぁ、石破首相に特別な思い入れがあるわけじゃない。
悩みつつ、動かなくちゃいけないということは同時に、決まっていない未来を決めるのは自分なんだというあたり、すでに過去の歴史になった側よりも、開放感を感じるべきなんじゃないかなとも思う。
今いる現役の人間も、いずれは過去になるにしてもさ。
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