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2025年08月28日00:00

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シャザイ×ト×ユルシ

 謝罪についての論争があった。

「これは一般論なんですが「うっさいなぁ、もう謝ったじゃん!」って言った時点で、過去の謝罪自体が無効化されます」

「「謝っても許してもらえないなら謝る意味がない」って意見が多くてスゲェなと思う。自分が悪かったと思ったから謝るんじゃないんだ、そりゃ許されるわけねえわ」


 これに対し、反論も多くあった。


「謝罪は解決のために必要だからやるのであって、相手に解決する気がないのであれば謝罪の必要はない」

「「許して貰えないなら謝らない」じゃなくて、「許す気のない相手に謝るだけ無駄」「行き過ぎた追撃にはこっちだってカードを切る」がメインだろ。謝罪を心からの謝意だと思うのはヘソ曲げて謝らない奴と同じぐらいガキ」

「どっちかというと「謝って欲しいけど許しはしない」って人の方が意味わからん。許せないくらい怒ってたら謝罪もいらんって突っぱねるやろ。“謝らせたいけど許さない”はただの加害欲求」


 「は?」と思った。私は圧倒的に前者派だ。
 一個目に関しては、解決を望むのは加害者側じゃなくて被害者側だろと思う。ニ個目は、自分の罪を認めるのが嫌なだけでしかない。許す気がない程度で何が行き過ぎた追撃やねん。三個目は他人や加害者側が言うなでしかない。

 謝る側は加害者であり、罪があるのだからたとえ許されなくても謝らなければならない。それは加害した側の責任だろう。これを否定するのは自分は言動行動に責任感を持っていないと言っているようなものだ。

 それに”ちゃんと”謝ってくれれば許さなくてもほとぼりは冷めるし、それ以上責めるつもりもなくなるから意味ないなんてことはない。
 そして許さないというのは被害者なりのちょっとした復讐でもある。別に法が罰してくれるわけではないのだから、被害者にもそれぐらいの意趣返しをさせてくれてもいいだろう。それさえ許されないというのなら加害者の加害したもん勝ちにしかならない。

 それに謝罪された段階では許すつもりはなくてもその後の行動次第でちゃんと負い目を感じてくれていることがわかったら許せるようになる。どちらにせよ何かしてしまったなら謝罪がなければ何も変わらない。許されても許されなくても謝罪した後の行動が大事なのだ。

「“謝らせたいけど許さない”はただの加害欲求」

 確かにそうだ。けどそれはやられたからやり返したいというだけ。誰だってそうだろう。それをまるで被害者側に問題があるかのように言うのはあまりにも卑怯過ぎる。加害されなければその加害欲が沸くことはなかったし、その欲求は飽くまでも加害者に対してだけだ。この論調だとむしろ、何もされていないのに加害した側がより異常者ということになる。

 仮に相手が必要以上に責めてきたとしても、自分が悪かったな……と思った方がいい。それが大人だ。自分に悪いところがあるのに相手のせいにするのはそれこそガキに見られるだろう。やっかいな相手に加害をしてしまった自分を恨むしかない。

 謝罪とはッ! 「相手の気持ちを少しでも労るため」「自分の罪を認めて受け入れるため」にするものだ。決して許しを請うためにするものではないッ!!
 自分が悪いと思ったなら謝る。そんなの人としてあまりにも当然のことだ。私は大人になってから、許されたくて謝ろうなんて思ったことはない。自分の罪を真摯に受け止めるために謝る。それで許されなかったら「それほどのことをしてしまったんだな」と反省する。そこで謝り損だったと思ってしまうのは、人として終わっていると言わざるを得ない。

 ただ、逆に言えば(仕事関係を除いて)自分が悪いとは思わない時には謝らない。飽くまで自分は悪くないと信じている時に限るが。こういう言い方だと言い訳しているような感じにも聞こえるが、実際に自分が悪くないのに自分が悪いものとして責められることはある。クレームなんか特にありがちだ。クレームの場合は仕事なので謝るが、仕事が関係ない場で謂れのない罪で責められるときは絶対に謝らない。それもまた大事だ。謝ったらそれは自分に罪があると認めてしまうことになるから。

 それが謝罪というものにおける私の主張である。みんなも人に加害しないように気をつけよう。
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