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2025年08月15日06:58

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クルマ0493 ピットワーク(1933年TT)

イギリスの正式名称は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」です。つまり北アイルランドはイギリスの一部なんですね。

https://share.google/ANqs0QwiBpaSYAJqu

その政庁所在地ベルファスト市近くのArds(アーズ)サーキットは、1928〜36年にRAC(The Royal Automobile Club、イギリス王立自動車クラブ)のTT(Tourist Trophy=ツーリスト・トロフィー)レースが行われていた、一周21.7kmの公道サーキットです。

https://images.app.goo.gl/g7AfQfdSh9JiP4VK7

TTは小排気量のクルマから順にスタートするハンディキャップ・レースで、遅れてスタートする大排気量の速いマシンが徐々に差を詰め、ゴールが近づくと排気量に関係なく上位のクルマのバトルが見られて観客は熱狂しました。
そしてゴールラインを最初に通過したマシンが総合優勝となる仕組みでした。

��1933年TT
1933年9月2日に開催されたTTは35ラップ759.5kmを競うレースでした。公式プログラムの価格は1シリング(約¥1200)。なお、シリングは1971年に廃止された通貨(硬貨)で、1/20ポンドの価値がありました。

https://images.app.goo.gl/iLQv8mg733Lu9EZB7

この年のエントリーは下記の31台でした。
・クラス3(3000cc以上5000cc未満)計2台:インヴィクタ(4467cc)×2
・クラス4(2000cc以上3000cc未満)計4台:アルファロメオ(2366cc)×3/マセラティ(2494cc)×1
・クラス6(1100cc以上1500cc未満)計5台:ライレー(1486cc)×4/アルヴィス(1492cc)×1
・クラス7(750cc以上1100cc未満)計9台:ライレー(1088cc)×4/MG(1087cc)×5
・クラス8(500cc以上750cc未満)計11台:MG(746cc)×9/モーリス(732cc)×2

https://images.app.goo.gl/X8PN9s1whaE7GVgLA

https://images.app.goo.gl/Qhx6qwjWWt4LpVfL9

��1-2フィニッシュ
このレースはイタリアのTazio Nuvolari(タツィオ・ヌヴォラーリ)がMGに招かれたことが話題に上っていました。脂が乗り切った40歳の彼はスクーデリア・フェラーリに属するスーパースターで、「空飛ぶマントヴァ人」と呼ばれていました。
マントヴァは彼の出身地であるイタリア北部の地域名です。

アイルランドにやって来たヌヴォラーリは、MGが用意していた最新式のK3マグネット(1087cc、クラス7)は初めてながらすぐに乗りこなしました。
最終的にゼッケン17の彼のK3マグネットは759.5kmのコースを5時間56分34秒で駆け抜け、平均速度78.65mph(約126.63km/h)で優勝しました。

https://images.app.goo.gl/D38b3FkaxDViEwQ56

準優勝はHugh Hamilton(ヒュー・ハミルトン)のゼッケン25のMG J4ミジェット(746cc、クラス8)で、ヌヴォラーリから遅れること40秒の5時間57分14秒でした。

https://images.app.goo.gl/2amNqx5n6ogRJkRx5

MGのワンツー・フィニッシュです。Peter Helckのイラスト、いい雰囲気ですねぇ。

https://images.app.goo.gl/8uCsy73xSSEhLQ4h8

��醜態
多くの自動車雑誌にレース結果は書かれましたが、勝敗を分けたピットワークについてはほとんど触れられておりません。ハミルトンのピットでのメカニックの醜態についてです。

補給しようとした燃料を撒き散らかす、フィラーキャップを嵌め忘れる、タイヤ交換のためにフロントを持ち上げるのに1分も掛かる、そしてトドメは火事。スタータースイッチが接触不良を起こしていたのでメカニックがスパナで端子を短絡させました。するとスパークが発生、ガソリンでビチャビチャの手袋とツナギが燃え上がり、慌てたメカニックはボンネットストラップをしないまま水道があるピット奧へ。

結局ピットストップは7分15秒も掛かり、ハミルトンの勝機は霧散しました。
柔和な性格のハミルトンですが、このお粗末さには怒りを爆発させたといいます。

もしハミルトンのメカニックがもう少し優秀でスムーズなピットワークがなされていれば、いやよしんばピットストップが4〜5分掛かったとしても、ハミルトンが最初にチェッカーフラッグを受けたに違いありません。優勝したヌヴォラーリのK3との差は僅か40秒しかなかったのですから。

これは想像の域を出ませんが、「特別なお客様」のヌヴォラーリのピットには優秀なメカニックをあてがったため、ハミルトンには二線級しか残っていなかったのではないのでしょうか。28歳と若かったハミルトンも大切なお客様だったのですが。ロンドンの大手MGディーラー、UNIVERSITY MOTORS(ユニバーシティ・モータース)でセールスマンをしていたのです。

https://images.app.goo.gl/WKkFu73k7Kp2et9w9

�ぴ霎�
上述のTTから2週間後の9月17日にチェコスロバキア(現チェコ共和国)で行われたMasaryk(マサリク)GPで、レーシングスーツの上に羽織っていた防水コートが眼を覆って視界を奪われたハミルトンはクラッシュして肋骨を3本折りました。
まさかそんな悲劇に見舞われるとは思っていないハミルトンは、レース前にチェコスロバキアの女流レーサーEliška Junková(エリシュカ・ユンコヴァ)と談笑しています。

https://images.app.goo.gl/NhyqL1iM7dxbxvXw8

翌1934年8月26日のスイスGPでマセラティ8CMを操縦していたハミルトンは、レース終盤にモミの木に激突、命を落としました。検死の結果、クラッシュ時には既に意識を失っていたとされましたが、それは前年のマサリクGPの影響だと言われています。

エンジンを回せるだけ回す(その結果壊してしまう)ヤバいヤツとして知られていたハミルトン、29歳。惜しい才能でした。
スパイ針(最も振った位置を指し示す)付きタコメーターが備えられたJ4(レッドゾーンは5750rpm〜)で某レースに優勝した後、そのスパイ針が9000rpmで止まっていたのを見たメカニックが腰を抜かした、という話は語り草となっています。
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