土曜日の深夜に食中毒でたいへんなことになり、日曜日はぐったりと過ごしました。
うごけなかったわけではないので、自室で大人しく過ごしていただけですけど。
その朝はさすがに散歩もジョギングも断念しましたけど、かわりに散歩中の読み上げ読書で読んでいた本を落ち着いて読み返すことにしました。
アーノルド・ベネット『自分の時間』
ぜんぜん知らない人でしたけど、なんとなく目について、kindleのアンリミテッドで会費で読める本だから、と気楽に流していたら、あっという間に読み終わってしまい、え?で、結局どういう本だったの?と思うくらいだったので。
実際、ぐったりした午前中の1時間くらいで読める短い本でした。
ベネットという人は、20世紀の英国の作家さんだそうです。
知らなかったけど、あちらではわりとメジャーな人みたいですね。
人には皆、等しく24時間が与えられているが、多くの人はそれを浪費しすぎる、という時間の使い方についての話。
いつの時代の人か、はっきりした知識なく読み始めたものの、読んでいるうちに電車通勤は行われているけど、どうやらパソコンやネットはもちろん、テレビもない時代の話観たい、ということはわかりました。
ただ、言っていることはじゅうぶん今に通用する話です。
早く起きて、少しでも自分の時間を作れ。
通勤の電車は誰にも邪魔されないんだから、新聞みたいに早く読むことを前提にされたものを読むのではなく、もっとしっかりとした活動にあてるべき。
早朝の数分と、一日おきに1時間半、一週間で7時間半を自己研鑽にあてられたら、人は大きく成長できる。
あぁ、なんかいろんなところで、微妙に変えつつも似た話を聞くよなぁ。
ちょっと耳が痛かったのは、読書についてのくだり。
「
よく読むと同時によく考えよということである。
多くの本を読みながら、そのことがバターつきパンを切るのと同じ程度にしか、その人の人間性にプラスになっていない例を私は知っている。
彼らが読書にふけるのは、酒好きが飲酒にふけるのと変わりがない。
文学という国を、ただ動きまわることだけを目的に、車で走りまわっているに過ぎない。
そのような人間は、1年に何冊読んだかということだけを、やたらと吹聴したがるものだ。
自分が読んだものについて、少なくとも45分くらいかけて、注意深く、しんどくなるくらいに反芻してみないなら(最初のうちはおそろしく退屈なものだが)、せっかくの夜の90分も無駄に費やされたのだといっても過言ではあるまい。
読書は要するに、どんどん先へ読み進めてはいけないのである。
時間がかかることなど、気にすることはない。
終着点のことは忘れるのだ。現在自分のいる周囲の景色のことだけに注意を払えばよい。
そうすれば、おそらく予想もしないような時に突然、あなたは丘の上の美しい町に到着しているだろう。
」
このくだりは、読んでいて苦笑しつつも耳が痛かった。
別にたくさん読むことを誇っているつもりはないけど、走りながらの読み上げ読書で、読み飛ばしている部分も多々あるからなぁ。
それでも、まったく読んでいないよりは自分の糧になるものがあるはず、とはおもっている。
読んでいる最中は、けっこう楽しんでいるのだ。
ただ、アプリに読み上げられていると、次から次へと進むから、頭の中で読んだことをためつすがめつする余裕はない。
だから、レビューを書くよう意識してはいるんだけどね。
読んだものについてもっと反芻することはしていきたいね。
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