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2025年04月19日15:34

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神武東征の初戦敗北後の足取り

日前神宮・國懸神宮のすぐ近くには、竈山神社がある。
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神武天皇の東征の際に行軍した彦五瀬命は、
孔舎衛坂で長髄彦の軍との戦いで流矢にあたって負傷、
その後雄水門(おのみなと、男之水門)で崩御、
のち竈山に葬られたという。
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竈山神社本殿の背後には
彦五瀬命の墓と伝える竈山墓(宮内庁治定墓)があることで、
最高の社格である官幣大社に位置づけられている。
竈山神社から数分の場所にある和歌山市小野町の
水門吹上神社の境内に雄水門碑を見ることが出来ました。
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崩御した場所としては?ですが、
境内の前の道路は、昔から水門があり
海の玄関口として機能していたそうで、
こうも考えられるのではないでしょうか?
神武天皇は、長髄彦の軍との戦いで
ここまで(和歌山まで)逃げてきた。
大阪平野からみて、県境はすべて山々が連なっている。
山越えで敗れているので、
それを避けるために和歌山まで海路を使い、
大きな港に到着し、親愛なる兄の死を迎えた。
大きな痛手をこうむった神武天皇は、
出来るだけ平坦な道を選ぶはずで、
国道24号線が理想的な大和入りのルートに見えてしまうのは、
私だけでしょうか?
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熊野から大台が原の山岳ルートは、
険しい山々を幾度となく越え、
日本一の降雨地帯もなんのその。
それならいっそのこと、
三重まで行き、いまでいう
伊勢参拝ルートの逆を使い
大和入りを考えるのが効率的かと。

では、神武東征はどのルートで大和入りをしたのでしょうか?

ここで大きな間違いに気づいた!
熊野古道や熊野街道ってありますが、
神武東征には一切関係なく、
「熊野三山」を詣でる道だということです。
言い換えると巡礼の道として、
貴族から平民まであらゆる身分の人々が利用した道なので、
今でいう聖地巡礼ですね。

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