能登の地震のほうを語るべき、昔のことなんかどうでもいいいう意見があるが、
自分は「東日本大震災は常に語り継ぐべき」と思う。
広範囲な平野で地震、次いで津波が起きた。
これは、関東平野でもし地震と津波が起きたときのシミュレーションとなりうる。
災害時の対応だけではない。
14年たった今、災害復興住宅の家賃問題、空き家問題、
町ぐるみ移転計画が住民の自主的な他地域への移動で空振りになった問題、
身内を失った人たちの援助に資金が絶たれる問題、
「震災時にはわからなかった」問題が次々明らかになっている。
災害が起きたそのときの対応は、こちらでの対応のときより
数段進んでいると感じる。
支援物資の仕分け問題などどこにも報じられていないから。
(あのときは着古した汚れた衣料を大量に送りつけられてゴミが増えた経験がある)
(ゴミ処理施設も壊れたってのに)
(生理用品を「この避難所には不要」と送り返した話も出ない)
(赤ちゃんのための液体ミルクに「飲むな危険」と表示した役所の話もない)
段ボールベッドもあり、家族ごとの仕切りやテントもある。
こちらの避難所が体育館に薄い毛布1枚で着替え場所すらなかったのを思えば
(まだ改善の余地はあるだろうが)こちらの経験が無駄でなかったと感じる。
復興モデルといえば阪神淡路大震災も大災害であったが、
東日本大震災とは質が違う。津波が来なかったので。
瀬戸内海に面した地域、もし津波があっても大きくならない。
関東平野は太平洋に大きく面している。沖に小さい島が数多く点在もしていない。
災害時にこちらの地元の病院で、阪神のときの経験から
「クラッシュ症候群(倒壊した建物にはさまれて起きる)」の準備をしていたが、
実際には搬送された患者のほぼすべてが水(海水)に濡れたことによる
「低体温症」だった。
なんとか津波を逃れても避難先で着替えも暖をとることもできず、
救急搬送をたのもうにも電話もケータイも通じず、
低体温症で朝方までに亡くなった方々も数多い。
いろいろな意味で、東日本大震災のときの教訓は忘れてはならないものと思う。
一般の方々も、もし自分がまきこまれたら家族の安否確認や
どこに避難するか、出先から家族のいる場所までどうやって移動するか、
家から持ち出すもののリストアップとまとめ方、など
ふだん考えておいたほうがいいことが山のようにある。
関東大震災のとき一番問題になったのは火災だが、
今は振動を感じて自動で消火する装置が普及している。
建物の倒壊は阪神でも東日本でもあったが、
家具を壁に固定するなど個人的な災害対応策もあるし、
何よりも建物自体の免振、耐震構造を考えるのが当然になっている。
能登半島地震“ドラレコ検証”避難行動の一部始終 『福島と能登〜語り継ぐ震災の記憶』3月11日に放送
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=8232338
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