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2025年01月01日12:47

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東日本大震災のときの話

ワシの居住地では東日本大震災で3400人以上が亡くなった。
最大の被災地だ。
人口が多く津波がきた場所に住宅地が多くて、この数字になった。

ワシのもと勤務先の病院は、たまたま内陸に新築されていたので
津波の被害を免れた。
周囲の道路や田んぼは用水路を遡った津波で水没したが、
盛り土して建てた病院の建物だけは助かった。
当然、救急車は全部ここに来るしかないし、歩ける人もとりあえず来た。
ロビーはストレッチャーのままの急病人と一般の避難者でいっぱいだった。
90歳を超えるおばあさんが、家が浸水して避難していた。
おばあさんは口から食べ物をとることが難しい状態だったらしい。
軽症者のいる場所で寝ていたが、いわゆる「病人」「けが人」ではない。
タグは「緑」で医療の対象にはならない。
結論からいくと、おばあさんは亡くなった。
家族は病院を訴えた。
もっとちゃんとケアしてくれていたらあのとき死ぬことはなかった、という理由で。

病院に来る道路のほとんどは水没。病院に入る専用インターのある高速も
道路はひび割れ盛り上がって危険を承知で徐行して走るしかない。
救援物資はいつくるかわからない、少なくても震災当日の夜にヘリは飛べない。
電柱が倒れて電源は病院の発電機による非常電源のみ。
水道も止まっている、病院の水タンクはいつまでもつかわからない。
その状況で、やっと救出された患者が搬送されてくる。
救急車も命がけで、水しぶきをあげながらやっと到着する状態。
自動車のガソリンもいつまでもつかわからない。
関係者のほぼ全員は不眠不休、感染症流行時期でなくて本当によかったが、
だからと言って医療者も人間、休まないと何が起きるかわからないし、
一般の方々と同じく、いやそれ以上に水分も栄養も必要だ。

その状況で、このおばあさんに点滴を一本、入れる余裕があったかどうか。
環境の変化や家からの移動による疲労や、そういうものもあるのに
点滴1本いれたら本当に「あのとき死なずにすんだ」のか?

命は誰の命も大切であり平等だが、災害時には「タグ」で分類されて平等ではない。
限られた医療資源を誰に使うかが判断されふるい分けられる。
本人や家族にとってはたまったもんではないだろう。
でも、より多くの命を救うためには必要なことなのだ。

裁判になったが、数年後、和解が成立した。

追記;2019年1月23日の新聞記事

東日本大震災で救助された石巻市の女性(当時95)が石巻赤十字病院に搬送されて3日後に亡くなったのは、同院が適切な処置を怠ったためとし、女性の遺族が同院を運営する日本赤十字社に約3220万円の損害賠償を求める訴えを仙台地裁(小川理佳裁判長)に起こした。21日に第1回口頭弁論があり、同院側は請求棄却を求めた。

 訴状などによると女性は震災当時、石巻市の山下地区に住んでおり、生活に全面的な支援が必要な要介護5の認定を受けていた。震災の津波で住居周辺が水没し、3月14日に自衛隊に救出され、通院歴のあった同院に搬送された。

 災害拠点病院の同院は、傷病者に対して処置の優先順位を付けるトリアージを行っており、女性は最も軽症の区分である「緑」と判定された。その後、女性は17日に脱水症状で死亡した。

 原告側は「病院は女性が自力で飲食などができない状態と認識しながら必要な保護行為をせず、漫然と放置し死亡させた」と病院側の責任を指摘した。

 閉廷後に行われた同院側の会見で、石橋悟院長は「限られた医療資源の中で全職員が懸命に対応したことに非はなく、怠慢と非難されることは非常に残念」と強調。「災害時の要介護者の受け入れにより病院が罰を受けるのであれば、今後の災害医療を考え直さなくてはならない」と問題提起した。

 同院は女性について、帰宅が望ましい体調だったが家族と連絡がつかず、要介護者専用のエリアに待機させていたと説明。また「紙カルテを探す余裕はなく、職員が時々観察を行い、わずかな食料提供や点滴1本を行うのが限度だった」などと語り、トリアージに落ち度はなかったと主張した。

追記2;某眼科医が裁判記録を読んでまとめた経過


 95歳女性は、震災当時、相続関係のない同居人とマンションの2階で生活していました。一方で、後に裁判を起こすことになる遺族とは疎遠で、震災前は5年以上にわたり会うことがなかったようです。95歳女性は認知症があり、また移動には車椅子が必要であったものの、同居者が作った食事はきちんと食べれていました。震災に見舞われて水道と電気は止まったものの、マンションの備蓄水を利用することができ、食料も作り置きの冷凍ものがあり、当座に困ることはありませんでした。津波はマンションの1階部分まで来たけれども2階部分までは来ておらず、これも当座の生活の障害にはなっていませんでした。ただ、停電のために暖を取るのが難しかったようです。

 そんな中、まだ津波の引かない3月14日、自衛隊のボートがマンションの外を通りかかるのが見えました。もともと通院していた石巻赤十字病院に搬送してもらえば、暖を取ることができて食料も困らないだろうと同居人が考え、資料一式を持たせて自衛隊に搬送を依頼しました。

 病院では一通りの診察が行われましたが、被災者でごった返す中での診察で、「資料一式」や過去の診療録は参照されず、年齢、住所、患者状況、家族状況が「不明」のままでの診察となったようです。当日の診療録には「症状はないが運ばれてきた」と記され、血圧、体温、脈拍等は正常であること、認知症がありそうであることが確認されました。とはいえ高齢であり、震災から3日が経過して十分な飲食をしていない可能性を考えられて、点滴処置がなされました。トリアージとしては「緑タグ」の判定になりました。

 治療終了後、本来なら帰宅可能であるものの、自宅地域が被災しており移動も不自由で帰宅はできず、かといって避難所に受け入れてもらうにも介護が必要なため困難があり、結局は病院内で待機する状態になりました。病院内には同様の高齢者、要介護者が他にも多数いました。また、受診するわけでもないのに病院やって来て、そのまま病院に留まる人も増えてごった返し、誰がどこにいるかを病院側が把握する余裕はなかったようです。95歳女性については、亡くなるまでに特段の訴えは確認されておらず、最後は脱水症状が元で亡くなられたようです。死亡後に、以前に受診していたときの診療録が確認できて、同居人に連絡されました。

 後に原告となる、相続関係がある唯一の遺族は、震災が発生した年の11月に、95歳女性の死亡に関して義援金を申請し、災害弔慰金250万円を受け取りました。

【訴訟】

 裁判は、震災の7年後である2018年に起こされました。報道にあるように、原告側は「病院は女性が自力で飲食などができない状態と認識しながら必要な保護行為をせず、漫然と放置し死亡させた」などとして、病院の対応に過失があったと主張しました。病院側は、そのような状況だからといって災害時のトリアージの場面で黄色タグを付けなければいけないという医学的な基準はそもそもない旨を反論しました。原告側は、診察時に95歳女性の過去の診療録等を参照していれば、このようなことにはならなかったはずだ」とも主張しており、裁判所も、過去の診療録等を参照できていなかった点については意を汲み取ったようでしたが、それによっても病院に過失があったとまでは考えなかったようです。

 結局、裁判は提訴から1年余りで和解を迎えました(参考記事→朝日新聞)。和解内容の要点は以下の2点であり、和解金の支払いがないいわゆる「ゼロ和解」でした。

1. 病院側が哀悼の意を表すること

2. 災害発生時であっても良質かつ適切な医療の実現のために尽力し、診療を受ける患者や家族の心情にも配慮し、信頼を確保するように務めること

 和解に至る直前に裁判所が示した裁判所の考えによると、災害時の診察であっても患者のカルテ等を参照できるようにするよう努めてもらいたいとの思いはあったようですが、その点については最終的な和解内容では具体的には言及されませんでした。

 なお、裁判の中では、原告側から、同居人に対する聞き取り報告が提出されていましたが、事実を淡々と述べた上で、95歳女性の冥福を祈る文言が綴られているのみで、病院の過失を指摘するような形跡はありませんでした。



■「父はなぜ死んだのか」 89歳父の死の理由を求めて 災害関連死の認定を待つ遺族 病院の看護記録に記された「点滴は止めないといけない」 能登半島地震から1年
(TBS NEWS DIG - 01月01日 07:03)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=266&from=diary&id=8153327
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