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2024年11月14日07:58

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松原照子の「世見」(転載)

本日の世見  2024年11月14日(木曜日)

『児玉源太郎』

東日本大震災が起きた時、台湾が示してくれた支援の額の大きさに驚いたのを忘れられません。
日清戦争後、日本は清国から台湾を割譲されて統治に乗り出しました。
今から129年前のことです。

児玉源太郎という人の名をご存知でしょうか。
当初は力ずくの統治でした。
児玉源太郎が第四代総督に就任して、台湾は大変身を遂げたのです。
児玉の右腕は後藤新平でした。
この両名がいなければ、今の台湾は違っていたことでしょう。

戦前に於いて、日本一高い山はどこだったか知っておられますか?
真球湾攻撃の時の作戦実行命令の言葉「ニイタカヤマノボレ」でも知られる名山は、台湾の新高山のことです。
今は玉山と言われていますが、戦前の台湾は日本領でしたからね。
日本一高いお山は富士山ではありませんでした。

児玉の前の台湾総督は樺山資紀、桂太郎、乃木希典でした。
あの小さな島・台湾には、当時六県六十五署の行政単位がありましたが、児玉はそれを台北、台中、台南の三県四十四署へと簡素化したのです。
それだけでなく、医療政策にも力を注ぎました。

児玉が殖産局長に抜擢したのが新渡戸稲造でした。
新渡戸はサトウキビの生産量を向上させて、砂糖生産大国へと導きました。
鉄道は物資輸送のため、港湾の整備も行いました。
また、下水道整備が改善されたことで、衛生状態が良くなりました。
明治時代、多くの日本人を現地に派遣して近代化を進めたのです。
漢民族が渡来する以前から台湾に暮らす「サアロア族」と言う原住民もいました。

児玉があと30年生きていてくれたなら、1936年です。
55歳の死(1906年)は早過ぎました。
江ノ島に児玉神社を建てる計画があったのですが、11万円の寄金を募っても、三千円しか集まりませんでした。この話が台湾に伝わると、わずか二週間で残りの額が集まったと言います。

私達は、児玉源太郎の生きざまを学ぶ時期が来ているように思います。
日本と台湾との歴史は、これからどのような流れをつくっていくのでしょうか。


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