一般に「富士山」と言えば、山梨県と静岡県に跨がる日本一の富士山を差すと思います。
こちらは素人の大量流入が昨今大問題となっていますが、それとは別に「ふじやま」読みも含めて同名の山は各地に有ります。
それに加えて、その地域のシンボル的な○○富士という山も珍しくありません。
千葉県で言えば鴨川富士や行徳富士か(笑)
※行徳富士は、湾岸道のすぐ脇に聳える建設残土による築山の俗名。
そんな郷土富士の一つに登ってきました。
生瀬(なませ)富士、茨城県大子町、奥久慈と呼ばれるエリアの山です。
奥久慈と言えば奥久慈男体山や長福山には登った事が有ります。
そして袋田の滝が有名ですが、そのすぐ北西に聳えるのが生瀬富士。
別に広く知られている山という訳ではなく、標高も405mで僅かながら千葉県最高峰より低いくらい。
更に山と溪谷社の分県ガイド「茨城県の山」にも載っていません。
それでもここに登ろうと思ったのは、生瀬富士山頂のすぐ尾根伝いに有る通称「茨城のジャンダルム」です。
YouTubeで見つけたのですが、左右とも切り立った断崖の細い岩尾根のよう。
戸隠の「蟻の戸渡り」のような感じ?
これは行かねば!
そう思ったのに加えて、気になったのが生瀬の地名。
ひょっとして…生瀬騒動の場所?
と言っても、私も水戸藩士が村人を殺害した事件といった程度の知識でよく分かっておりません。
調べてみると、江戸時代初期に起きたとされる事件で、既に年貢を納めたにも関わらず、別の役人から年貢を納めるように求められた事で、偽物に違いないと村人達が後の役人を殺害した事が発端で、ところがその徴税役人こそ本物であった事から、水戸藩が報復として同村の農民を包囲殲滅した…とされています。
その事件に絡んで、同所には地獄沢、嘆願沢、首塚、胴塚などの地名が残っているそう。
なんと!
こんな凄惨な事件だったのか!
ところがこの事件には謎が多く、先ず藩の公式記録が無いこと。
ずっと後の時代になって、伝承を集めた記録が複数出てきたのですが、事件が起きた年さえ文献により異なっており、ハッキリした事は分かっていないよう。
一説には何代にも渡ってこの地を治めてきた佐竹氏が秋田へ転封される時期の事であり、佐竹氏と入れ替わりに移封してきた武田信吉(武田の名籍を次がせた家康の五男)にそれぞれ年貢を取り立てられたとか、村人虐殺ではなく村人逃散など諸説有るようです。
尚、上に名前が出た佐竹氏は常陸国を代表する戦国大名としても有名ですが、清和源氏の出ながらも源平の戦では平家方に属しました。
源頼朝が鎌倉に入り、富士川の戰で平家軍を破った後、坂東を固める事が重要と、平家軍を追撃しなかった頼朝に攻められ敗れました。
なんにしても、真相は不明ながらも、前述のような地名が残っている事から、何らかの事件は有ったかもしれません。
そしてこの地獄沢が有るのは、生瀬富士の東側。
今回歩くエリアからは数km離れていますが、どちらにしても興味本位で立ち入るような場所ではないでしょう。
そんなこんなで、地獄沢まで足を伸ばす予定は無いものの、それまで何となく耳にした事が有る程度だった「生瀬」という場所に興味が湧いたのでした。
天候と予定の有無を見ながら「いつ行こうか…」と考えていた訳ですが、去る金曜日の予報で日曜日が晴天予報となっていた事から、急遽日曜日に行く事に決めました。
続く
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