新幹線の認可は昭和34年(1959)、予算は初年度三十億円でした。その年の夏、十河信二国鉄総裁に世界銀行への借款を勧めたのが佐藤栄作だったことははっきりしています。「こんな大工事は一内閣の期間では完成するはずない。 内閣によっては方針がどう変わるかわからん。世銀からどかんと融資を得ておけば、時の内閣もやらざるを得なくなる。外から縛ることができる」というわけです。
そこで全工事費3800百億円のうち288億円を世銀から借款し、工事期間は五年かかるところ、三年半の突貫工事でオリンピックに間に合わせたのです。いまも時々、東京駅で東海道新幹線に乗るとき、1・2番線階段下の突き当たりの壁にはめ込まれている銅板の文句を読むことがあるのです。
英文もついているのですが略します。「東海道新幹線、この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された。東京・新大阪間 350�辧�起工一九五九年四月二十日、営業開始一九六四年十月一日」驕りも高慢さも思い上がりもなく、さわやかさいっぱいの文章です。
運輸大臣や国鉄総裁の名前なんかない。日本国民みんなして造ったのだと。これがとにかく五年を三年半に縮めた最大の理由であったのです。そして東京オリンピックです。オリンピックといえば「東京五輪音頭」です。
はあーあ、それ、あの日ローマで眺めた月が 今日は都の空照らす……というものですが、この歌詞はNHKが公募して島根県庁の職員、宮田隆さんの作品が選ばれたそうです。すでに亡くなりましたが、戦時中にフィリピンでの捕虜生活で餓死寸前のたいへんな苦労をされた経験から、もうそんなことがないように「世界平和を願って書いた」とか。
作曲は古賀政男さん、たくさんの人が歌いましたが、三波春夫さんが一番知られています。オリンピックについて中身は詳しくお話しませんが、少なくとも世界中が集まって競技をする大きな祭典で、日本人が心から感じたのは、これでやっと敗戦国から抜け出して国際社会の一員になった、先進国の仲間入りができた、というたしかな思いだったでしょう。
そういう意味でオリンピックは、日本人の気持ちをひとつにまとめる大きな役割を果たしました。昭和三十五年の安保闘争後、浮わついたり無責任になったりしてはいましたが、ここで改めて「国家」を再認識して喜びを分かち合ったのです。
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