異常なペースで進められた日本の原発開発のこうした財政支出は、いかにしてなされてきたのでしょうか。戦後の日本のエネルギー政策は、経済成長のために安価で大量のエネルギーを確保することに主眼が置かれていました。
しかし1970年代に起きた2度の石油危機を転機に、石油に代わるエネルギーの開発が求められるようになり、その基軸に原子力開発が据えられたのです。この時期、日本の原発の設備容量は686・3万kWにすぎませんでした。
だが、1980年には1495.2万kW、1990年には3148万kW、それ以降は、急速に拡大していきました【グラフィ】。世界的に見て、こうした日本の原発拡大ペースは異常ですらあります。
ほかの原子力開発国であるアメリカ、フランス、ドイツ、イギリスのいずれを見ても、原発が拡大するペースは一様ではありません。日本はかつてのソ連・東欧以上に計画的に拡大してきたといえます。
これほどのハイペースで原発をつくることができたのは、国家財政の裏づけがあったからにほかなりません。こんにち、電力への財政支出には一般会計のエネルギー対策費とエネルギー対策特別会計があります。
後者は、田中角栄内閣時代につくられた電源開発促進対策特別会計がベースになっています。電力会社から送られてくる明細には載っていませんが、電気料金には電源開発促進税(現在は約2%)が課されていて、 これがこの特別会計の財源になっています。
政府の財政的な裏づけを得て順調に進んでいた原子力開発も、スリーマイル島事故、チェルノブイリ事故、そして日本国内での度重なる事故やトラブルを背景に、発電所の立地が政府の計画どおり進まなくなります。
立地対策費が予算化されても消化できず、多額の余剰金さえ発生しました。そこで政府は、立地への各種交付金の対象事業を拡大することで予算消化を図るのです。それはたとえば、スクールバス、小学校、体育館、葬儀場などの公共施設整備はおろか、外国人講師採用などによる外国語教育やコミュニティバス事業など、およそ電源開発とは無縁の、本来なら各自治体の財源で整備・運営されるべきものが含まれていました。つまりは原発の立地を進めるための懐柔策として、周辺自治体に交付金や補助金を与え続けてきたわけなのです。
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