市川市の川歩きはの件はまだ書き終えていないので、前編と後編の間ですが、既に書き終えていた別件を挟みます(笑)
あと半年弱で東急と相鉄の新横浜線が開通し、相鉄の電車が東横線や目黒線を通じて、埼玉県まで走るようになります。
その東急、自社路線経路こそ私が幼少の頃と殆んど同じですが、その中身は大きく変わりました。
路面電車だった玉電は、地下を走る新玉川線、更に現在は田園都市線となり、東横線は渋谷付近と田園調布付近が地下化、目蒲線は多摩川駅(当時は多摩川園駅)以北は東横線の運転体系に組み込まれ、かつて田園都市線の一部だった大井町線は二子玉川以南で再び田園都市線と一緒になっています。
車両以外殆んど変わっていないのは池上線くらいでしょうか。
そんな東急の路線ですが、目黒蒲田電鉄や東京横浜電鉄がそのルーツとなります。
そしてこれらを率いていたのが、買収など強引な経営手腕で強盗慶太と呼ばれた五島慶太。
戦時には京急、小田急、京王までも合併した通称大東急となりますが、彼によって生まれた路線はこれらだけではありません。
現在東京メトロ銀座線の一部である新橋〜渋谷間も、五島の東京高速鉄道によって建設されました。
これに対して、浅草〜新橋間は「地下鉄の父」こと早川徳継の東京地下鉄道が建設したので、元々は別の路線だったのです。
さて
現在ヒカリエとなっている場所には、かつて東急文化会館というビルが有りました。
そこの上層階に有ったのが五島プラネタリウム。
もちろん、五島慶太の名前に因みます。
今から半世紀ほど前、まだ私が小学校低学年の頃は、母親と3年上の兄と3人で何度か行った記憶が有ります。
父親は興味が無かったのか分かりませんが、兄は当時から天体好きで、なんとなく私も巻き込まれたといったところでしょうか。
そんな甘酸っぱい思い出の五島プラネタリウムですが、もちろん今は有りません。
先日、渋谷のさくらホールへ行った際、館内に五島プラネタリウムの投影機?名前は分かりませんが、懐かしい姿のコレが展示されているのを発見!
半世紀前にそれを見ていた事が、一瞬のうちに思い出されました。
プラネタリウム自体、その後に何処かの郷土資料館か何かで見た…という程度でしょうか。
とすれば、やはり小学校の社会科見学か。
いや、学生くらいの頃に何処かで見たような気もしますが、これは思い出せません。
どちらにしても、30年以上は見ていないでしょう。
船橋市にはプラネタリウム館というのが有る事だし、いつか行ってみようか…
そんな事を思いました。
そう言えば、同じ市内の実家でも、その頃はけっこう星が見えたものです。
それから家が格段に増えたという印象は希薄ですが、今では数えるほどしか星が見えなくなりました。
そんな思い出…
思い出は誰かがきっと〜♪
ログインしてコメントを確認・投稿する