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2022年06月26日14:08

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「戦争は女の顔をしていない」その19

「その人は心臓のあたりに手をあてて…」の章

(衛生指導員)
「ドイツに入ったら誰も容赦しない、誰もあわれんでやるまいと思っていた。
胸の中にそれだけ憎しみがたまっていたんです。恨みの気持ちが。
どうしてドイツ人の子供を憐れんでやらなければいけないの?
どうしてドイツ人の母親を憐れむべきなの?やつらの家に手をだしてはいけないの?
やつらは容赦しなかった…殺し、焼き払った…どうしてなの?
やつらの奥さんや母親たちを見てみたかった。あんな息子を産んだ母親を。
その人たちがどんな目で私たちと目を合わせるのか、その人たちの目をみてやりたかった」
「ある村に行った時、子供たちは逃げていくけどおなかを空かせて、哀れな様子だった。
私は奴ら全員を憎むと自分に誓っていたけれど…仲間たちから肺給食の残りや
砂糖のかけらまで全部集めました。子供たちにやろうとしたんです。
もちろん忘れていなかった…何もかも覚えていたわ。
でも子供たちの飢えた目を平気で見ていることができなかった。」
「朝早くから、ドイツの子供たちは私たちの移動炊事車のそばに列を作っていて、
スープとか何かメインディッシュの温かい料理をもらっていました。
どの子もパンを入れる袋を肩に掛けて、スープを入れる容器を腰にぶら下げ、
おかゆや豆を入れるものを持っています。
私たちは子供に食事を与えて、病気を治してやったり。なでてやったりさえした。
なでてやって…ぎくっとしました。この私が、私が!ドイツの子供をなでるなんて。」

中尉(準医師)
「私は戦車連隊の準医師だった。私たちのところにあったのは三十四型の戦車で
たちまち燃えてしまうんです。とても恐ろしいの。」
「戦車から這い出すと火の海…空が燃えている…鉄が燃えている。
こっちには殺された人がたくさん、あちらでは「助けてくれ!」という叫び声。
ものすごい恐怖にとらわれた。戦場からよく逃げ出さなかったものよ。」
「ドイツに行き着いた。ドイツのことでまず覚えているのは道端の
見よ、これが憎きドイツだ!という手作りの看板。」
「私たちが村に入ってみると、鎧戸を締め切った家々、住民は何もかも放り出して
自転車で逃げていったの。ゲッペルスが「ロシア軍がやってきたら皆殺しになる」
と説いて聞かせたから。」
「全員毒殺されて横たわっている家もあった。子供たちが倒れている。
ピストル自殺や服毒自殺…私たちが何を感じたか?
私たちが勝ったんだ、私たちと同じくやつらも苦しんだんだ、という悦びよ。
復讐の感覚、でも子供たちはかわいそうだった。」
「おばあさんがひとり見つかった。私はそのおばあさんに言ってやる。
私たちが勝ったのよ、おばあさんは泣きだしたわ。
私の息子は2人ともロシアで戦死したさ、ヒットラーが悪いんだよ。
ヒットラーが自分で決めたわけじゃないわ、あんたたちの夫や息子がやったこと。
すると、おばあさんは黙っている。」

上等兵(投光器 操作係)
「勝利の道…勝利ってどういうことか、想像つかないでしょうね!
それは解放された捕虜の群れよ、ロシア人ポーランド人チェコ人フランス人…
混ざっていたけどそれぞれが自分の国のほうに進んでいった。」
「ロシアの女の子たちにも出会った。そのうち一人が妊娠していた。
一番きれいな子、捕虜になって雇われていたそこの主人に犯された。
主人と寝ることを強要された。その子は泣いて自分のおなかを叩いていた。
ドイツ人の子供なんか連れて帰れない!
女の子たちは説得をしたけど…でもその子は首を吊ってしまった。
おなかの中のちっちゃなドイツっぽを道連れに。」
「ドイツで友達と自転車に乗っていた時、ドイツ人の女の人に出会った。
子どもが3人いたかしら、2人は乳母車に乗せて、もうひとりはスカートに捕まって。
女はすっかり疲れ果てた様子だったわ。私たちと並んだところで、
跪いてお辞儀をするの。こんなふうに…地面につくほど。
何を言っているのかわからなかった、その人は胸の心臓のあたりに手をあてて、
それから子供たちを指し示すの。どうやらこういうことらしかった。
子どもたちが生き残ったことに感謝してる、って。
これだって誰かの奥さんよ、ご主人はロシア戦線で戦っていたのよね…」

伍長(通信兵)
「味方の将校がドイツ人の娘に恋してしまったんです。
それが上部に知れて、降格になって、後方に送られた。」
「暴行があったかと言うなら…そういうこと…もちろんあったわ。
我が国ではほとんどそのことは書かないけれど、戦争にはつきもの。
男たちがあれだけ何年も女なしでいなけりゃならなくて、憎悪もあったし。
もちろん公然とじゃないけど…わかるでしょ?
でも三日目をすぎたら、軍事裁判ってこともありえたの。三日間は飲んだくれて…」
「覚えているわ、もちろん、乱暴されたドイツ人女性を…裸で横たわっていた。
両足の間には手榴弾が…今は恥ずかしいけど、あの時は恥という気持ちはなかった。
気持ちはもちろん変わるものよ、最初に感じたこととそのあとでは違うのよ。
最初の数か月が過ぎると、私たちの指揮官のところに5人のドイツ娘が来た。
みんな泣いていたわ…産婦人科が検査して、あそこに引き裂いたような怪我をしてた。
パンツは血だらけだった。一晩中暴行されたの。兵隊たちが行列していた。」
「大隊が整列させられた。このドイツ娘たちはこう言われたの。
行って見つけなさい。誰がやったのかわかったら直ちにその場で銃殺する。
でも、娘たちはじっとして泣いていた。これ以上血が流されるのを見たくないって。
それからその子ったいはパンを一斤ずつ与えられた。」
「許すことが簡単だとでも思う?壊れていない、白い、立派な家。レンガの屋根。
バラの花まで咲いている。私だって奴らが痛い目に遭えばいいと思っていたわ。
奴らの涙が見たかった。いい人になるなんてすぐにはできないわ。
奴らに同情するなんて。そのためには、私は何十年も必要だった。」

軍曹(通信係)
「祖国は解放されました。人々を埋葬するのが耐えがたくなりました。
他の国のために死んで、異国の地に埋葬するなんて!」
「道沿いにたくさんの看板が立っていたのを覚えています。十字架に似ていました。
見よ、これが憎むべきドイツだ!この看板はよく覚えています。」
「今こそわかるんだ、この目で見ることができるんだわ。
どんな土地でどんな家に住んでいるのか。まさか奴らが当たり前の人間だなんて!
私の家は音楽一家でした。バッハやベートーベンが好きだったんです。
そういうことの全部を自分の世界から消し去りました。
それから私は火葬場を見ました、アウシュビッツ収容所を。山と積んだ婦人服や子供靴。
灰色の灰、そういう灰が畑でキャベツやサラダ菜の肥料にされたんだ。
私がバッハを聞けるようになるまで、長い時間がかかりました。」
「そういうやつらの土地に来たんです。まず驚いたのは道路が立派なこと。
大きな農家、花を植えた植木鉢、きれいなカーテンが納屋の窓まで引いてあります。
家の中には白いテーブル掛けのかかったテーブル。高価な食器。
そこではじめて電気洗濯機というものを見ました。どうしてこんないい生活をしていて
戦争なんかしなければならなかったのか、私たちには理解できませんでした。
ソ連ではみんな地下壕に住んでいたのに、ドイツでは白いテーブルクロスですもの。
デミタスカップでコーヒーを飲んで、そんなカップ、博物館でしか見たことがない。」
「家に荷物を送ってよいと許可が出て、せっけんや砂糖なんか、靴を送った人もいた。
ドイツの靴は丈夫だった。時計とか革製品とか。私はできなかった。
汚らわしいって感じで、ドイツのものを手にする気になれなかった。」

看護婦(外科)
「残念なのは、頼まれたことをやってあげられなかったこと。
私たちの病院に一人の負傷したドイツ人が運び込まれたんです。
確か飛行士だった。大腿部をうちぬかれていて、壊疽が始まっていて、哀れでした。
黙って横たわっているんです。」
「私は少しだけドイツ語ができました。その人が突然頼むんです。
そして写真の束を取り出しました。ほら、これがお袋だ。兄弟や姉妹たち。美しい写真。
あちらに行ったら、これを郵便ポストに放り込んでくれ。
写真の一枚に住所を書きました。封筒いっぱいの写真でした。
私は長いことこの写真を持ち歩いていました。
激しい爆撃にあったときにそれをなくしてしまって…とても悲しかった。
封筒がなくなってしまったんです、ドイツに入ってから。」


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