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2022年02月01日17:09

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天下の末裔

今週末は宇都宮へ…
用が有って宇都宮に初めて来たのは、たぶん2004年か2005年頃、スカッシュのHEADオープンを観戦に来た時だったと記憶しています。
その後も全日本(マスターズにも出ました)や東アジア大会(広報担当)などで度々訪れており、またビッグツリーはダンプリングフェスティバルに何度も出ております。

更に、丸沼で行われていたエクステラジャパンの前泊やエクステラ翌日のスカッシュなどでも何度もお邪魔していますから、おそらくこの間10年程度で30回近くお邪魔している事でしょう。
しかし、それらから離れた近年は、スッカリご無沙汰となってあます。

という事で、今回はプチ観光を考えました。
観光と言っても、日光のようなメジャーな場所ではなく、宇都宮の少し北に有る烏山(からすやま)と喜連川(きつれがわ)です。
自治体としてはそれぞれ那須烏山市、さくら市の隣接する両市ですが、ちょっとした共通点が有ります。

それは烏山は織田信長の次男とされる織田信雄が一時いた場所で、喜連川は古河公方&小弓公方の血を引く足利国朝の喜連川潘が有った場所。
つまり、足利尊氏と織田信長という二人の天下人の末裔が烏山と喜連川に足跡を残しているという事です。

織田信雄は、本能寺〜清洲会議後、織田家の暫定当主のような立場となりますが、秀吉に反発したのか、間も無く家康と組んで秀吉と戦います。
これが小牧・長久手の戦いですが、家康に無断で秀吉と講和を結んだ後は、秀吉膝下に甘んじるようになりました。

家康が北条亡き後の関東に移り、空いた三河に移るように言われた信雄はこれを固辞し、秀吉の怒りをかって改易され烏山に流されていたそう。
その後、出羽や伊予に移ったものの、間も無く許され、関ヶ原、大坂の陣を経て大和宇陀に領地を得ました。

織田家の子孫としては、信長の弟長益(有楽斎の名で知られる)の子孫も大名として残りましたが、信長の子孫としては、この信雄の子孫が唯一の大名です。

信雄絡みの遺構と言えば、烏山城址くらい?
しかし、ここは必見です。

ついでと言ってはなんですが、40数年前、烏山駅が銀河鉄道999ミステリートレインのイベントで、終着駅アンドロメダステーションとなったそう。
実はなんとなく覚えておりました。

そして喜連川。
足利幕府の体制において、関東は鎌倉府の管轄とされ、鎌倉公方と補佐役である関東管領による支配とされましたが、徐々にその支配が崩れ、十六世紀後半までにその名は有名無実となり、事実上、小田原の北条氏の影響下に有りました。

鎌倉公方自体も本拠を現茨城県の古河に移して古河公方となり、そこから分かれる形で現在の千葉県市原市に生まれたのが小弓公方です。

しかし、こちらの小弓公方も有名無実化し、北条滅亡後、秀吉によって古河公方の血を引く氏姫、小弓公方の血を引く足利国朝を婚姻させ、喜連川に領地を与えられました。
その後、幕潘体制下で喜連川潘となり、喜連川氏を名乗りました。
そして、この喜連川氏による喜連川潘は幕末まで続いています。

喜連川潘においては潘庁として陣屋が使われていましたが、平安時代から続く喜連川城も有ったようで、廃藩置県まで残っていたようです。
こちらも、城址と陣屋跡は行っておきたい。

それは良いとして、喜連川は鉄道が無い為、公共交通機関ならバスという事になります。
しかし、本数的にちょっと厳しいかも…

すると?
クルマで行くか、はたまたフォールディングバイクを使うか。
悩みどころ( ̄▽ ̄;)

こちらは別に関係無く、先日市川で食べたうどんです!
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