mixiユーザー(id:7170387)

2021年12月04日07:48

144 view

二刀流をあみ出した剣術家

二刀流をあみ出し、「五輪書」を著した剣術家は、宮本武蔵です。江戸時代初期の剣術家です。剣術の稽古を積み重ね、二刀流をつくり出しました。剣術の勝負では、六十戦して負けなしだったといいます。兵法書「五輪書」を著すとともに、すぐれた水墨画や工芸品も残しました。

宮本武蔵の生まれは、美作国(今の岡山県)といわれますが、はっきりしません。小さい頃から剣術の稽古に熱中しました。日本刀を使う戦いの技をみがく剣術は、昔から日本の伝統武道でした。単に刀の使い方だけでなく、精神を鍛える意味もありました。

鎌倉時代には弓矢による戦いが重視されましたが、室町時代から戦国時代になって接近戦がふえると、剣術が発達しました。戦乱のなくなった江戸時代には、技と精神の完成に情熱が注がれ、様々な流派がうまれました。

宮本武蔵は、十三歳で新当流の有馬喜兵衛に勝つと、各地をまわり剣術の勝負をしました。二十代後半までに六十回あまり戦い、一度も負けませんでした。中でも京都での吉岡一門との戦いや、巌流島での佐々木小次郎との戦いは有名で、伝説化して語りつがれています。

武蔵は、二本の刀を使う「二天一流(二刀流)」をあみ出し、兵法書「五輪書」を著しました。「五輪書」は、地・水・火・風・空の五巻からなり、戦いの心構えや、技術が書かれています。また武蔵は、すぐれた水墨画や工芸品も残しています。

海峡に浮かぶ巌流島は宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の場でした。 関門海峡は瀬戸内海の商品流通ルートの要となり、ここを制覇することが九州攻略の基点だったのです。宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した巌流島は、武蔵が28歳の時です。

ちなみに宮本武蔵は17歳の時(1600年)に関ヶ原の戦いにおいては西軍に加わりますが敗退しています。父は無二斎、母はお政です。武蔵と名乗り始めたのは1604年、21歳のころです。宮本の姓を正式に使い始めたのは1624年頃だと言われています。

13歳の時に新当流有馬喜兵衛と播磨国平福にて勝負して打ち倒す。17歳の時に関ヶ原の戦いにおいては西軍に加わるが敗退。24歳の時に伊賀の鎖鎌の宍戸梅軒を倒す。28歳の時に佐々木小次郎と巌流島で対決する。1614年の大坂冬の陣や翌年の夏の陣にも参戦し、大坂方で出陣しています。

自らの著書には五輪書の地の巻(武蔵の考える兵法についての概略説明)。水の巻(剣術の道理について)。火の巻(個人・集団それぞれの戦いについての解説)。風の巻(二天一流と他流派との比較検討資料)。空の巻(兵法の「道」について説く精神論的な巻)がある。プレイステイションソフト武蔵伝を行うとよくわかる(笑)

7 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2021年12月>
日 月 火 水 木 金 土
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 

最近の日記

もっと見る