森村誠一氏の出世作「人間の証明」。
氏の作品で私が最初に読んだ作品です。
伏線や登場人物それぞれの描写など、代表作の名に恥じない傑作です。
角川映画もヒットしました。
反面、私は氏の作品はその仕上がりの波が大きいと感じており、この「人間の証明」がヒットした事で、後々このパターンに捕らわれてしまったのでは…と感じています。
例えば、「人間の証明」では恐ろしいほどの偶然で登場人物の大半が過去に関わり合っています。
この作品に限って言えば、縁とか天の配剤と捉えられますが、その後もミステリー作品で有り得ないくらいの偶然、無理矢理過ぎて合理性の乏しい推理が多用されている印象が有ります…が、これは私の偏見かもしれません。
さて
その「人間の証明」、ここからは所謂ネタバレになりますが、主人公の棟居(むねすえ)刑事はクライマックスで大きな賭けに出ます。
容疑者の女性は、保身の為に何十年も前に別れた我が子を殺害した疑いが濃いのですが、その証拠は有りません。
そこで棟居は、親子が別れる前の思い出の品である麦わら帽子を彼女に見せながら言います。
うろ覚えですが、「幼い時に生き別れた母親に会いたい一心で、思い出の麦わら帽子をずっと大切に持っていた」
「それをあなたは関係無いと言えるのですか?」
「もし言えるのならあなたは人間ではない」
この言葉で遂に女性は遂に崩れ、我が子を殺害した事を自白します。
この場面は何度読んでも目から汗が…
この言葉こそがすなわち「人間の証明」という事であり、この麦わら帽子が、映画CMの中で西条八十の「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね」の詩と、ジョー山中氏が歌う「Mama Do you remember?」の歌と共に空を舞っていた帽子です。
さてさて
先日、生活に困窮する方に無料で食事を提供してきたトンカツ屋さんに、とてもそうは思えないような人の来店が激増したという話がネットに出ていました。
しかも高額なメニューを選んで10人分以上とか、「高速使ってわざわざ来たんだから早くしてよ!」とか…
全く理解出来ません。
今の時代、或いはこうした表現は禁忌かもしれません。
しかし、この判断が間違っていなければ、家族でも友人でもない他人の無償の好意を受けておきながら、感謝の気持ちを持たず、それを当然の権利と開き直るようなら、正に「人間ではない」です。
それでも悪意が有った訳ではないとか、多様性とか思い込みの正義の押し付けとか言う人もいるのでしょうか。
確かに思いつきの罵声を本人に向かって執拗に伝え続ける愚か者は多いでしょう。
しかし、悪意が無ければなんでも良い訳はありません。
自分の都合や利益しか頭に無く、そこから考えようともしないのが罪です。
謝意を目的でやっている訳ではないにしろ、社会の中で多かれ少なかれ他人と関わり合って生きている以上、受けた好意に対して感謝の言葉はおろか気持ちすら持てないのでは、申し訳無いですがそれ以上の好意を与える価値を見出だせません。
この件自体に関しては、赤の他人である私がとやかく言う資格は無いかもしれません。
なので、店名を出したり記事のURLを出すのは控えます。
以前、北アルプス下山後に黒部で食事した際に財布の中身を勘違いして数百円(たぶん200円くらい)足りず、それで良いよと言って戴いた事が有りました。
これは何年か後になりながらも、次に黒部へ行った際、「あの時はお陰様で助かりました」と数百円をお返ししたところ、非常に喜んで戴けた事が有ります。
そして「持ち合わせが無くて…」を言われた事は何度も有るけど、返しに来る人はいないとか…
別に「ちゃんと返した」自慢をしたい訳ではなく、場所が場所なので時間はかかってしまいましたが、それが人として当然の事だと思っておりました。
なので、この「返しに来る人はいない」には驚いたものです。
ネットに出たニュースをなんでもストレートに信じるのは危険ですが、これについては疑う理由は無く、ほぼ事実と考えて良いと判断しました。
「ダサイ」とか「カッコ悪い」と思われるのは別に構いませんが、「卑怯」とか「図々しい」とか「狡い」と思われる事は、人として恥だと思っています。
うまく纏まりませんが、「ラッキー」とばかりに利用していた連中は、こうした話が表に出た事で自分の愚かさに気づいて行動を改める事を祈ります。
ログインしてコメントを確認・投稿する